「LGBTは生産性がない」杉田水脈氏大炎上「ザワザワ感」の正体

これは日本社会の構造的問題だ
井戸 まさえ プロフィール

杉田氏を「無視」してきた人々のマインド

これまでの杉田氏の言動に憤り、その見識に疑問を持つ人は多かった。

ただ、たとえそのことを指摘しても杉田氏が考えを変えることはないだろうし、批判すればむしろ杉田氏支持と思われるネトウヨから執拗な攻撃が来るのではないかとの懸念が、表立っての杉田批判を押さえて来た。

杉田氏を批判することで生まれる「コスト」を考えると、それは明らかに「無駄な行為」「空しい行為」。

「杉田氏の挑発とも思える過激な言動に対し、真面目に反応すると面倒な目に合うのでやめておこう」というのはリベラルサイドの中では暗黙の共通意識だったと思う。

だから、「無視」。仲間内では杉田氏の批判をすることはあっても、正面から相手にすることを避けてきた。

「相手にしない」「どんな言動があってもスルー」「存在自体を見ないことにする」。それが杉田氏、そして杉田氏を支える勢力への最も効果的な方策だと認識していたのだ。

しかし、この「無視」「相手にしない」という態度こそが、彼女を増幅させた要因でもあるのだ。

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今回炎上になったことで「だめねえ」「おかしい」と杉田氏を批判している人々の中に、「実は杉田氏の論理展開をどう批判していいのか、答えあぐねていた」と言う人に少なからずいることも知った。

例えば、杉田氏は問題となった『新潮45』2018年8月号で、「多様性を受けいれて、様々な性的指向も認めよということになると、同性婚の容認だけにとどまらず、例えば兄弟婚を認めろ、親子婚を認めろ、それどころかペット婚や、機械と結婚させろという声も出てくるかもしれません」と記述している。

「いきなりそう言われたら……違和感を持っても、どう切り返していいかわからない」と言うのだ。

議論することを面倒だとスルーしてきた結果、一方でまっとうな批判力を鍛える機会を手放すことにもなっていたのかもしれない。

 

また、杉田氏の「生産性」発言に対して怒りを表した文章の中に「A県は知事もB市長もC市長も子どもがいないので少子化対策には圧がかけられないからよかった」といったような、杉田氏を批判しながらもまさに「生産性」議論に引き入れられていることすら気づかない内容も散見されて、問題の根深さを感じる。

「叩きやすくなった」杉田氏に対して、今まで声をあげて来なかった人々も一斉に批判をするようになったからこそ「炎上」が起ったのだが、批判は全うだし、もちろん賛同もする。

ただどこかで不健全感は拭えないのは、今に至るまで杉田氏を放置し、過激に走ることを止める機会があったにもかかわらず、それには及ばなかった、つまりは「叩きにくい」時にこそ対応することを諦めた結果であるという認識が欠けているのではないかという、焦りにも似た感覚である。