師範学校の問題児にマスコミシステムのカギとなる理念が芽生えた瞬間

大衆は神である(12)

上州の貧しい家から、東京帝大書記を経て、戦前日本を席巻するメディア・コングロマリット「大日本雄弁会講談社」を生み出した男——野間清治。

その豪快なビジネスセンスと、鮮やかな立身出世を賞賛する文献は少なくない。しかし彼の生い立ちやほんとうの人柄は、これまであまり詳らかにされてこなかった。

ノンフィクション作家・魚住昭氏が極秘資料をひもとき、日本の出版業界と近代社会の黎明の光と陰を追う、大河連載「大衆は神である」。

真っ暗闇の食堂で

人気の秘密はそれだけではない。一学年下だった武井文之助は、清治が「自分より下の人の話でも何でも実によく聞く」ので「我々仲間も非常に好きだった」と語っている。

 

人の話をよく聞くというのは、たとえばこういうことだ。寄宿舎には喫煙室があった。ほかの生徒たちが自習室で勉強する間、清治はここにいつも陣取り、煙草を吸いにくる生徒を誰彼かまわずつかまえて、話しかけた。自分の煙草がなくなると、「君、一本」とたかりながら、議論をもちかける。そうやって話をするのが「無上の楽しみだった」(本人談)という。

以下は同級生の川村新次郎の回想である。

〈(清治が)喫煙所の主になったころは、煙草を長くやらずに、小さく切っちゃ、吸ってたね。火鉢を囲んで、何でもいろいろ自分自分の意見を述べるのだね。

甚だ未熟な意見を述べている。すると社長はうんうんと言って、決して口を出さないで、向こうが種なしになるまで言わせ、そうして何時間もかかってみんなの話を聞き、それから誰君の説は要するに何と何と何だというように三ヵ条に分けるとかいうようにして、「君、こういうものがもう一ヵ条あるといい説になる」「誰君のは第一はこれ、第二はこれ、第三はこれだが、もうひとつこういう考えを加えたら完全になる」というようにみんなやってくれる。

そうしてみんなの説をまとめていいものをこしらえていたのですね。よくやったもので、用足しに行って来てもまだうんうんやっている〉

こんな出来事もあった。寄宿舎で同室だった下級生の小暮辰衛によると、ある夜、ベッドで寝ていると、清治が非常に丁寧な声で、小さく、

「小暮さん、小暮さん」

と呼んだ。上級生は威張っていて、叱りつけるように「小暮君」と呼ぶのが普通だったが、清治だけは下級生をさんづけで呼んでいた。小暮がひょっと目を覚ますと、清治が、

「私がこれから食堂に行って演説をするから、ちょっと聞きにきてくれ」

と言った。起きるのは嫌だったが、清治の言葉があまりに丁寧だったので、いわれるまま食堂に行った。真っ暗で誰もいない。食堂の真ん中にちょうど演壇みたいに高いところがあった。

そこに上って清治が演説を始めた。第一声が、

「満場の淑女紳士諸君よ!」

だった。小暮は食堂の後ろの方で清治の演説を聞いたが、眠くて、何を言っているのかわからない。それでも演説がすんで寝室に帰るとすぐ清治に「君、どうだった? 後ろの方にいてちゃんと聞こえたかい?」と訊かれた。

小暮が「はあ、誰もいないしーんとしたところでしたから、はっきり聞こえました。ちょっと声が大きすぎるくらいでした」と答えると、「そうか」と清治は言い、こういうところはどうだった、ああいうところはどうだったといちいち訊ねた。小暮は返答に困ったが、なんとかごまかした。小暮はその後もよく清治に真っ暗闇の食堂に連れていかれたという。