“コミュニティ”は現代の孤独を救うことができるか

“コミュニティ”とは何か【後編】
田丸 尚稔 プロフィール

しかし、孤独は孤独のままである

多様な人が多様のまま尊重されること。一方的に何かを学ぶのではなく、プレーヤーとして自身が実践者になれること。広く共有されながら、同時に個別のストーリーが立ち上がるテーマがあること。これらが実現するならば、コミュニティは大いに発展し、回っていくだろう。

しかしここで、前編の最初の井戸の話に戻してみたい。カレーとオンラインサロンとスポーツ留学のバラバラなものから共通項を見つけ出すための例え話だったが、これは、コミュニティで人々が活動することにも当てはめることができる。

多様な人は、それぞれの個別的な井戸を掘る。やり方は何でもいい。素手でも、機械を使ってもいい。やがて水脈=コミュニティで共有され、つながる。

しかし、ここでもう一度気づく。やはり我々は井戸の中にいる。水脈から湧き出る水で喉を潤し、つながりを実感する。それでもなお、井戸は個別的で、孤独は孤独のままだ。

 

水野仁輔という人は、肩書きは何かと考えても、うまい答えが出てこない。レシピ本はたくさん出しているけれど料理人ではない。文や音声でカレーについて語るけれど、作家やラジオのパーソナリティと言うのもしっくりこない。カレーの謎を解き明かすために世界に出ているけれど、旅人でもない。

でも、とにかくカレーのことを求めずにはおれない、求道者であることは確かだ。そして実践していることはとても孤独である。カレーはコミュニケーションツールとして機能することを確信しながら、一方で、独立独歩で研究を続ける姿勢は決して変えない。

はあちゅう氏も同様だ。彼女のヒット作となった書籍『半径5メートルの野望』はまさにそれを表した本と言ってもいいかもしれない。

半径5メートルの井戸、と言えば巨大すぎるだろうか。いずれにせよ彼女は身の回りの日常に広がる景色にフォーカスを当て、それを深く、深く、掘り下げた。

作家・ブロガーという肩書きだが、活動はその範疇をはるかに超えて多岐に渡る。言葉を主な武器にしながらも、さまざまな方法で「自分」を切り取り、発信を続けた。端から見るに、その井戸は道具を使わず、素手で掘り続けたのだろう。

ボロボロになりながら、いまやtwitterのフォロワーがおよそ20万人にもなるなど、彼女は世界に広がる水脈にたどり着いた。しかし同時に、それでもなお彼女は井戸の中の自分という孤独を知っている。

オンラインサロンでは、自身を成功例としてメンバーに語ることはほとんどない。それよりも、参加者それぞれの魅力を探り、自立することを優先にしていた。

コミュニティという“つながる場所”で、しかし自立を最大の目標にしているのは、孤独に耐えうるスキルを身につける準備だ。

講演会形式で自身の成功談を教え聞かせるイベントではなく、「はあちゅうサロン」で行われている、メンバー全員とのマンツーマンの面談では聞き役に徹しているのは、まさにそのための試みだろう。

コミュニティは現代の孤独を救うことができるのか? 答えは、「Yes」。しかし、それは孤独を解消するということではない。

会社や学校、地域の在り方が崩れたから人が孤独になったわけではない。どこに所属していようが、あるいはオンラインサロンという新しいコミュニティが登場しようが、人は孤独だ。

コミュニティは孤独を解消する場所ではない。それよりもむしろ孤独を再認識する機会になるだろう。

しかし井戸の奥にある水脈を見つけ、多様な人が多様なまま価値観を共有できれば、それが少しは救いになるかもしれない。

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