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“コミュニティ”は現代の孤独を救うことができるか

“コミュニティ”とは何か【後編】

会社や学校、地域などのコミュニティが変化せざるを得ない現在、オンラインサロンなど新たなコミュニティが形成されていく流れは不可避な状況を前編ではお伝えした。今回は、スポーツ留学とオンラインサロンの共通点や、カレーというコンテンツの特異性を説明しながら、今後のコミュニティ運営のヒントを探ってみたい。

*前編はこちら→http://gendai.ismedia.jp/articles/-/56725

スポーツ留学とオンランサロンの共通点

私は現在、フロリダ州でIMGアカデミーという教育機関に身を置いている。アンドレ・アガシやマリア・シャラポワなど世界ナンバーワンのテニス選手や、日本人では錦織圭選手も卒業したスポーツアカデミーと言えば、日本でも認知度が高くなってきたように思う。

短期間のスポーツキャンプには子供から大人、初心者からプロレベルまであらゆる年齢やレベルのアスリートを受け入れる一方、軸となっているのは中高一貫の全寮制の学校として世界80カ国を超える様々な地域から集まる留学生を受け入れる長期留学プログラムだ。

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全校生徒はおよそ1200人。テニスやゴルフ、野球、サッカー、バスケットボールなど全8競技に分かれ、勉強とスポーツに励む生徒たちが東京ドーム約50個分にも及ぶ広大なキャンパスで生活を送るコミュニティになっている。

前編で新たなコミュニティとしてのオンラインサロンを取り上げたが、その有効性を考える時、私には、このスポーツ留学の場がとても参考になっている。読み解くための大きなヒントの一つは“多様性”だ。

先に述べた通り、生徒は80ヵ国以上から集まってくる。言語も違えば、育った場所も、その背景にある文化もおそろしく違う。しかしその多様性こそが、人の成長に大きく寄与している。

ある日、テニスコートで日本人のAさんが、南米出身のBさんと練習試合をしていた。セルフジャッジと言って、審判を立てず、選手が互いにアウト/インの判定をしながら試合を進めていった。

Aさんが打ったボールはコートの隅に鋭く刺さり、ポイントを上げた……と思ったら、なんとBさんはアウトの判定。コートの外から見ていたのだが、ボールはあきらかにインだったもののBさんは悪びれもせず堂々としている。

Aさんは、最初は戸惑い、インだと主張してみたが、すぐに抗議をやめて試合を続けることになった。しかし、そのようなことが何度かあり、Aさんはついにしびれを切らす。

相手はスペイン語話者だが、お互いの共通言語となる英語で、拙いながらも意見を主張し、説得を続け、埒があかなければテニスコーチを呼んで審判になってもらうなどして、状況をなんとか改善することに成功した。試合はAさんが勝った。

試合後、Aさんと少しだけ立ち話ができた。

「なかなかタフな試合だったね?」

「セルフジャッジが嫌いになりそう……。私だったら、アウトかインかあいまいな時は相手にポイントを譲るのがフツーだし、日本人だったらそうする人が多いと思う」

「途中からきちんと抗議し続けて、あきらめずに改善するまでコミュニケーションしようと態度を変えたのはどうして?」

「単純に頭にきたというのもあるけど……もうこの人とは分かり合えないなと思って。ずるい人に負けるのも嫌だったし、英語で頑張ったけど言葉の問題だけじゃないから、コーチに審判になってもらうように頼むことにした」

 

ジャッジは明らかにフェアではなかったし、Bさんは咎められるべきことをした。それが解決できてよかった……という話ではない。私はAさんが“わかり合うことをあきらめた”ことにとても感心した。

イライラするのは、自分との考えの差異にストレスを感じるからだ。どうしてわかってくれないのか。なぜ、私の意見を受け入れないのか。

しかし、分かり合えない、という前提になれば、(まだ心は穏やかではないにしても)次の行動に出ることができるし、この件については審判を立てるという具体的な解決策を見出すことができた。副次的ではあるが、完璧ではない英語も、言葉を尽くし、あれやこれやと表現を変えたりしながら会話を構成した努力が大きな成長につながったはずだ。

テニスのほんの一部の例ではあるけれど、80の国から人が集まれば、スポーツでも勉強でも、生活の中でも、日本人だけのコミュニティにいるだけでは想像もつかない“わかり合えない”状況に出くわす。

もちろん、相互理解を促すことにはなるけれど「人類みな兄弟、わかり合えるはず」という楽観的な態度では現実的な溝は埋まらない。わかり合えないことが前提になれば、わかり合うためにはどうするか考え、行動し、解決の道を積極的に探ることになる。