「うちの子の人生も変わる…?」奇跡の学び直し塾、人気の秘密

底辺から道を拓いた僕だからできたこと

発達障害、うつ、ひきこもり。自らの困難に満ちた人生経験を活かし、再チャレンジのための塾「キズキ共育塾」を起業した安田祐輔さん(キズキグループ代表)。先日初の著書『暗闇でも走る 発達障害・うつ・ひきこもりだった僕が不登校・中退者の進学塾をつくった理由』を上梓した安田さんが、バングラデシュなど途上国発の人気ファッションブランド・マザーハウス主宰のイベント「マザーハウスカレッジ」に登場しました。学生時代から安田さんを知る山崎大祐さん(マザーハウス副社長)が、道を切り拓くヒントをひも解きます。

僕の人生は、子ども時代から高校まで、ほとんど底辺

山崎 安田さんの人生曲線ですが、まるでジェットコースターですね(写真グラフ)。

安田さんの人生曲線

安田 僕の人生は、子ども時代から高校までほとんど底辺って感じでした。両親も仲が悪くて家に居場所がなく、発達障害、特にアスペルガーがある関係で学校にも居場所がなかった。

山崎 ずっと我慢してたんですか?

安田 はい。そして、寮がある中学校を見つけて12歳で家を出ました。でも、中学でも発達障害傾向が原因でいじめられて。

山崎 中退したんですよね。

安田 中2の終わりで中退して寮を出て祖父母に預けられました。祖父母とも合わず、再婚した父たちと暮らしたら継母にもいじめられ、家に帰れなくなった。「なんで自分だけがこんな目にあうのかな?」とずっと考えていました。「なんでこんなに人生キツイんだろう」って、ずっと悩んで。

ヤンキーのパシリから、国連を目指す受験生に転身

山崎 人生曲線を見ると、「大学入学」というのがあります。この高校時代のヤンキー写真からは想像できないけど。

安田 高校はほとんど出席しなくても、追試や補修を受ければ卒業できるような学校。しかも、僕は地元の暴走族のパシリのような存在でした。

高校時代の安田さん

山崎 なぜ、そんな状況で、大学入学に至ったの?

安田 進学する人もあまりいない普通の全日制で、それでも進路は決めなきゃいけない。でも、当時生活費のためにしていたバイトも、すべて3ヵ月ぐらいでクビ、または居づらくなってやめてたんです。(働くのが難しいので)「就職を先延ばしにする」というのが、進学を考えた一つ目の理由。それに加えて、ここで努力をすれば自分の人生変わるかもしれないし、努力しないと今のどん底の人生がこの先も続いちゃう──なんとか変えないといけない、と思い始めたのが二つ目の理由です。

 

山崎 大学はICU(国際基督教大学)ですよね? 「とりあえず、どこかの大学に行けばいいや」というのではなかったんですね。

安田 勉強の仕方が分からなかったので、ニュース=真面目という短絡的な理由でテレビのニュースを見るところから始めたんです(笑)。そこで、アフガニスタン空爆・イラク戦争の報道で子どもたちが泣き叫んだり、傷ついたりしている姿を見て。世界にはこんな不条理なことがあるのかと思い、勝手にシンパシーを覚えました。これを解決できる人間になるためには、大学に行かなければ、と。国連へ入るなら東大かICUがいいと知り、その二つを目標にしました。

山崎 受験勉強はどうしたんですか?

安田 当時、小学生レベルの基礎学力しかありませんでした。偏差値30くらい。はじめに行った予備校では、「君みたいのがいると風紀が乱れる」って言われて、入塾拒否されました。バカだと思われるのが怖くて、「勉強のやり方が分からないから、教えてください」とも言えなかった。その後、1日13時間、2年間ほとんど誰ともしゃべらず、眠いときは椅子に足をしばりつけたりして勉強しました。とても効率が悪かったとは思いますが、「量で勝負すればなんとかなる」と二浪してICUに合格しました。その経験が今につながっています。