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朝から晩まで米を取引! 実は超絶せわしなかった江戸の人々

知られざる「江戸時代経済」の実態とは

年貢米の品質管理に躍起

江戸時代の経済について、世間一般に持たれているイメージを勝手に想像すると、「幕府や大名がコメを年貢として集め、そのコメが“天下の台所”大坂で取引されていた」、といったあたりが最大公約数ではなかろうか。

これは決して間違った理解ではないが、それだけで江戸時代の経済が語られてしまうのは、この分野を研究する者として、少し惜しい気がする。

上のイメージに、少しだけ情報を付け加えたい。

大坂で形成された米価が、旗振り通信と呼ばれる高速通信手段によって各地へ報知されていたとしたらどうだろうか。

大坂の米市が、夏の間は夜通し開かれていたとしたらどうだろうか。

大名が年貢米の品質管理に躍起になり、米俵の一俵一俵に、それを包装した百姓の名前を書かせて責任を明確化していたとしたらどうだろうか。

江戸時代経済のイメージが変わってくるのではないだろうか。

 

ここに挙げたことは、全て現実に起きていたことである。

江戸時代とは、初期と幕末期を除けば、天下泰平を謳歌する、ゆったりとした時代であったと想像されがちであるが、他の人より早く米価を知りたい、朝から晩まで一日中取引をしていたい、米の品質管理を徹底して利益を得たいと考える、なんともせわしない人々が、少なくとも江戸時代の後半には相当数存在した。

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商人だけではなかった

なぜそうなったのか。結論から言えば、市場経済というシステムが、ゆっくりと、しかし着実に江戸時代の社会を、江戸時代の人々の考え方を変化させていったからである。

市場経済という、頼もしいが気難しい友人と、どのように付き合っていけばよいか、日々頭を悩ましている現代の我々にとって、経済学も学ぶべき先例もなく、市場経済と対峙した江戸時代の人々の体験は決して他人事ではない。

ここでいう「江戸時代の人々」には、武士も商人も農民も、全て含まれる。江戸時代の経済・金融の話と聞くと、多くの人が商人の活動を連想するだろうし、こと大坂に関しては、利にさとくて現実主義的な「なにわの商人」のイメージが強い。

もちろん、大坂商人が賢かった(過去形に他意はない)ことを否定するつもりはないが、江戸時代の経済を支えていたのは、なにも商人だけだったわけではない。

米などの産物の売り手として、また資金の借り手として登場する諸大名や、市場の監督者として登場する江戸幕府の役人もまた、江戸時代の市場経済に向き合った重要な主体である。

時代小説や時代劇の影響だろうか、ともすれば経済に疎くて、商人に対して当たりが強く、頭も固いというイメージが武士階級に対しては根強いが、そうした理解は一面的である。