日本の憲法学者が分析したがらない「砂川事件の3つの神話」を検証

事態はかなり深刻かもしれない…
篠田 英朗 プロフィール

砂川事件の神話3
「砂川判決」は集団的自衛権を否定したのか

現在、憲法学者が大同団結しているのは、砂川判決は、集団的自衛権を認めていない、という点である。

中には、個別的自衛権しか認めていないという者と、個別的自衛権も認めていないという者がいることは、すでに見たとおりである。実際はどうなのか。

拙著『集団的自衛権の思想史』(風行社、2016年)で示したように、1960年代末まで、集団的自衛権が違憲だという議論はほとんど存在していなかったし、政府も採用していなかった。

したがって砂川判決が、集団的自衛権だけを取り上げて論じていないことは、不思議なことではない。

砂川判決は、次のように述べていた。

「(日米)安全保障条約の目的とするところは、その前文によれば、平和条約の発効時において、わが国固有の自衛権を行使する有効な手段を持たない実状に鑑み、無責任な軍国主義の危険に対処する必要上、平和条約がわが国に主権国として集団的安全保障取極を締結する権利を有することを承認し、さらに、国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認しているのに基き、わが国の防衛のための暫定措置として、武力攻撃を阻止するため、わが国はアメリカ合衆国がわが国内およびその附近にその軍隊を配備する権利を許容する等、わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項を定めるにあることは明瞭である」

この判決文を素直に読めば、「国際連合憲章がすべての国が個別的および集団的自衛の固有の権利を有することを承認し」ていることに基づいて、その権利行使として、日米安全保障条約を日本が締結したことを、最高裁が認めたことは、明らかだ。

「わが国の安全と防衛を確保するに必要な事項」として「個別的および集団的自衛権の固有の権利」にもとづき、「集団的安全保障取極」を締結した。それが日米安全保障条約である。日米安保条約が持つ論理構成を、最高裁は完全に承認している。

当時、存在していたのは、自衛権の有無よりも、その行使手段である自衛隊は憲法が禁じる「戦力」に該当していないかどうか、であった。そして砂川事件では、駐日米軍は憲法が禁じる「戦力」に該当していないかどうかが争われた。

「個別的自衛権」と「集団的自衛権」を切り分けて、前者は「固有の権利」だが、後者はそうではない、とか、「戦力なき自衛権」だけが「固有の自衛権」だとか、そういったことを最高裁が述べたという形跡は、どこにもないのである。

どこにもないなら、集団的自衛権を肯定することもしていないのではないか、と憲法学者の方は言うのだろうが、国連憲章を肯定し、日米安保条約を肯定した後で、「個別的自衛権は肯定しますが集団的自衛権は肯定していないことはわかりますか?仮に集団安全保障を肯定しても集団的自衛権は肯定しないことはわかりますか?」と聞かれても、そんなことはわかりません、と感じるのが、1960年代末より前の人々の発想法だ。

先に成立した国連憲章の仕組みから素直に憲法を理解すれば、砂川判決のロジックは、むしろ単純明快だ。(拙著「国際法と国内法の連動性から見た砂川事件最高裁判決」『法律時報』2015年87巻5号参照)。

憲法学者の方々は、「1972年内閣法制局見解」を世界と歴史の中心に置いて、錯綜的に、1959年砂川判決を見るので、ねじれてしまう。

「1972年内閣法制局見解」を守ることが立憲主義を守ることだ、などという政治的な法律論を振り回すので、1959年砂川判決も、1972年内閣法制局見解を否定していないので、1972年内閣法制局見解にそったものと考えるべきだ、といった倒錯した主張を繰り返してしまう(「長谷部恭男教授の『砂川判決』理解を疑う」)。

憲法学会の「隊長」長谷部恭男教授は、次のように述べる。

「あらゆる人がそれぞれに解釈しているだけでは、9条は国家権力を制約する役割―立憲主義の最低限の意味内容である―を果たすことができない。テクストに代わって国家を制約するには、権威ある解釈が確立されなければならない。個別的自衛権のみが憲法9条の下で認められるという内閣法制局の有権解釈(authoritative interpretation)は、最高裁がこの分野での解釈権限行使を控える中で、国会を含めた政府諸機関の権限を調整し、制約する役割を長年にわたって安定的に果たしてきた。この種の有権解釈は、最高裁の憲法解釈と同様、憲法典のテクストと並んで「機能する憲法」としての役割を果たす。そして、現に機能する憲法を十分な理由もなく政府自身が変更することは、認められるべきではない。それは最小限の意味での立憲主義の破壊である」長谷部恭男『論究憲法―過去の憲法から未来へ』(有斐閣、2017年、451頁)

しかし、私は、このような議論だけで、1972年内閣法制局・見解を金科玉条にして、1959年砂川判決を評価することが正当化されるとは思わない。

まして内閣法制局長官が一橋卒・外務省出身の国際法専門家になると、「クーデター」だということになって、途端にそれ以降の内閣法制局見解はすべて無効化される、といった複雑怪奇な「立憲主義」が正当化されるとも思わない。

田中長官は、自然法主義者であり、反共主義者であった。したがって今日の「対米従属」糾弾者たちが、砂川判決を強く敵対視するのは、理由のないことではない。長谷部恭男教授は、統治行為論を採用したからではなく、「自由で民主的な政治秩序と平和主義が衝突するとき、前者が優越すべきだ」という判断をくだしたものとして、砂川判決を性格づける。そのうえで、砂川判決を問題視し、「アメリカについて行けば大丈夫、であるはずがない」というメッセージで、砂川判決に対する評価を結ぶ。(長谷部『憲法の論理』[有斐閣、2017年]、210-214頁)。

このように、砂川判決は、これからも憲法学者の方々を中心にした政治闘争の中心的な道具であり続けるだろう。政策論争は、もちろん必要だ。憲法学者の方々が参加してはいけないことはない。

しかし政策論争なら、政策論争として行うべきだ。「(憲法学者を中心にした)法律家共同体」に全て任せなければ、「クーデターだ」、と主張しながら、実態としては「法律家共同体」の方々は、政治漫談をしているだけだとしたら、どうだろうか。それは、非常に深刻な事態ではないだろうか(「長谷部恭男教授の『憲法学者=知的指導者』論に驚嘆する」)。