日本の憲法学者が分析したがらない「砂川事件の3つの神話」を検証

事態はかなり深刻かもしれない…
篠田 英朗 プロフィール

砂川事件の神話2
「砂川判決」は「統治行為論」なのか

矢部宏治氏は、砂川判決の「日本版・統治行為論」によって、「安保条約のような重大で高度な政治性を持つ問題については、最高裁は憲法判断をしなくていい」ことになった、と論じる。矢部氏は、これをもって、日本は「法治国家崩壊状態」にある、と主張する(『知ってはいけない』148-149頁)。

「統治行為論」とは、「直接国家統治の基本に関する高度に政治性のある国家行為」としての「統治行為」は、「司法審査の対象から除外される」べきだ、という考え方を指す(芦部信喜『憲法』[岩波書店、1999年]306-307頁)。

それでは「砂川判決」は、本当に世間で広く信じられているように、「統治行為論」を採用して、判断を回避した判決だったのか。

(故)芦部信喜・元東大法学部教授の100万部を売るベストセラー基本書では、砂川事件それ自体は、「統治行為論」の判決としては「すっきりしない立場」などと描写される(同上、307頁)。

芦部は、憲法訴訟の理論の業績で名声を博した人物だが、芦部をそのような研究に向かわせた背景には、砂川判決に対する問題意識があった(芦部『憲法訴訟の理論』[有斐閣、1973年]、15頁)。

もっとも芦部にとって砂川判決は、「統治行為論に類する考え方」といった程度のものであった(芦部「違憲審査権の限界―統治行為論を中心として―」『ジュリスト』No.39 、1973年、30頁)。

芦部の弟子にあたり、現在の憲法学会の最高峰に君臨する長谷部恭男・元東京大学法学部教授は、「砂川事件判決で示された議論は、統治行為論としては異形である」とする(長谷部「砂川事件判決における『統治行為』論」『法律時報』1085号、2015年、46頁)。

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長谷部教授の弟子にあたる木村草太・首都大学東京教授も、砂川判決は「統治行為論」を採用したものではない、と述べる。

安保法制には訴訟リスクがある(違憲立法の判決を出されるリスクがある)、と強調し続けてきているのが、木村教授である。

そこで「政府の側が、『裁判所はどうせ見逃してくれるだろう』と考えているとしたら、見通しが甘すぎます」、という脅しをかけるようなことを言うために、統治行為論では逃げられないぞ、といったことを木村教授は言いたいようである(「木村草太教授の『自衛隊と憲法』の問題点④「砂川判決」理解のアナクロニズム」)。

ところが、木村草太教授が全幅の信頼を置いて法律解釈の最高権威であるかのように述べる『憲法判例百選』においては(「「『憲法判例百選』の解説者」という人々の支配」)、浦田一郎・一橋大学名誉教授が、砂川判決について、「『高度の政治性』を指摘している点は、統治行為論的である」などと解説している(「169 自衛権・戦力・駐留軍―砂川事件」長谷部恭男・石川健治・宍戸常寿編『憲法判例百選II』[有斐閣]362頁)。

憲法学「通説」といってもこんなところである。

砂川判決において最高裁は、「一見して極めて明白に違憲無効である」と認められる場合には、司法審査が行われることを明言した。

砂川判決が述べたような条約の違法審査には特別の配慮が求められるという考え方自体は、三権分立や民主的統治の観点から、それほど驚くべきものではない。

砂川判決=「統治行為論」は、日米安保条約を違憲と信じる勢力が作り出した「物語」のようなものであろう。