10年間で500人を治療してわかった「痴漢」を取り巻く問題

そもそも痴漢の「病名」ご存知ですか?
原田 隆之 プロフィール

病気という視点への反論

WHOは、国際疾病分類を何度も見直し、今回の改訂が11回目である。そのたびに新たな障害が追加されたり、診断基準が変更になったりする。これは、研究の積み重ねによって、新たな知見が加わったことを反映している。

つまり、世界中の研究者の努力の蓄積に伴って、病気の態様、原因、メカニズム、治療法などが明らかになり、診断基準が確立され、より洗練された疾病分類となっていく。

「痴漢は病気」という主張をすると、すぐに判で押したように「何でもかんでも病気にするな」という感情的な批判がある。今回の番組でも同様の批判がとても多かった。

しかし、何も軽々に何でもかんでも病気にしているのではない。「病気である」という専門家のコンセンサスの背景には、何十年にもわたる地道な研究と臨床の蓄積があることを忘れてはならない。

また、「病気だといって罪が軽くなるのは許せない」という批判もまた多く寄せられた。これは、「痴漢は病気」という視点を、責任能力の問題と混同しているだけの誤解である。

精神障害者による犯罪の場合、精神鑑定によって責任能力がない、または減弱していると判断され、場合によっては無罪となったり、刑が減軽されたりすることがある。

しかし、多くの場合、それは統合失調症、認知症などによって、病前の人格そのものが、がらりと変わってしまうほどの障害が認められた場合に関係してくるのであって、痴漢が病気とされたところで、責任能力の議論にはならない。

たとえば、アルコール依存症という「病気」があったからといって、酔って人を殴ったり飲酒運転したりすれば、それは犯罪であるのと同じだ。

つまり、誰も「痴漢は病気」という視点を責任能力とからめて主張していないにもかかわらず、「病気だからといって罪が軽くなるのは許せない」という反論をするのは早合点というものである。

 

私はこれまで、痴漢という病気を責任能力とからめて主張したことは一度もないし、そのつもりもない。また、痴漢が犯罪であることを否定したことも一度もない。

「痴漢は犯罪か、病気か」という二者択一ではなく、犯罪であることは当然の前提として、そのうえで病気という視点も加えようとしているだけである。

つまり、「犯罪でもあり、病気でもある」という主張である。そして、それはイデオロギーではなく、科学的な事実である。何度も強調するが、このことをきちんと押さえておいてほしい。

そしてその対処においても、「刑罰か、治療か」という二者択一を主張しているのでもない。「刑罰に加えて、治療を」という選択肢を増やすという提案をしているにすぎない。

したがって、「痴漢は病気」という見方をしたところで、それに反対する人々が主張し、恐れているような事実はまったく起こらないということである。それどころか、むしろ利点のほうがはるかに多い。