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チップの上の「生命」

生命1.0への道 第11回

合成生物学の現場から、私たちの生命観を揺さぶりつづけるこの連載も、いよいよ終盤。今回の主役は、もはや生命とさえ思えない「何か」をつくろうとしている研究者です。しかし、彼に言わせればそれは「最小哺乳類システム」なのだそうです。

絵・米田​絵理

とりいそぎ、その姿が見たい方は、最後のページに飛んで「図5」をご覧になってみてください。これが生命に見えるでしょうか。しかし「それ」は、本物の哺乳類のように糞もするというのです。

読み終えたあと、じわじわとくる「ある種の感覚」は、熱帯夜にもおすすめです。久しぶりに「ポチッ」もあります。

合成生物学で自分の身代わりをつくる

そう遠くない将来、移植医療や再生医療の発達に伴って、個々人の細胞を凍結保存しておくサービスが一般化するかもしれない。今でも精子バンクや卵子バンクは存在するが、もっと汎用性のあるES細胞(胚性幹細胞;写真1)やiPS細胞(人工多能性幹細胞)といった、いわゆる「万能細胞」(注1)を預けておくのである。

すると預けた人の体に何か問題が起きたとき、それらの細胞から必要な組織や臓器を培養して移植する、といったことが可能になる。火傷で損傷した皮膚を貼り替えるといったことは、おそらく今でもすぐにできるだろう。そうすれば他人の組織や臓器を移植するのと異なり、拒絶反応や感染といったリスクがほぼなくなる。

それに加えて、今のところは僕の想像でしかないが、もしかしたら「ミニミー・バンク」というサービスが誕生するかもしれない。「mini-me」(注2)つまり「小さな自分」である。

注1)多細胞生物の体を構成するさまざまな細胞の、ほぼすべてに分化(特殊化)できる細胞のことだが、学術用語ではない。ES細胞やiPS細胞は、専門的には「多能性幹細胞」と呼ばれる。
注2)映画『オースティン・パワーズ』シリーズの登場人物とは、もちろん全く無関係だ。
【写真】ヒトES細胞
【写真】ヒトES細胞から分化させた神経細胞
  写真1 ヒトES細胞(A)と、ヒトES細胞から分化させた神経細胞(B)

たとえばFという人物が、とあるウイルス性の難病にかかってしまったとする。病気を治療する薬は何種類かあるのだが、患者によって適合性が大きく異なる。薬が合っていないと、ひどい副作用が起きるかもしれない。

そこでF氏は契約しているミニミー・バンクに連絡して、掌サイズの「ミニミー」を入院している病院へ送るよう依頼する。すると医者は届いたF氏のミニミーを使って、どの薬を、どのくらいの量と期間、投与するのが適当かを試すのである。

ミニミーのパッケージデザインは選べるのだが、F氏の場合は自分を2頭身キャラクターにしたようなイラストを蓋に印刷している。その蓋を開けると、中にはサイコロを一回り大きくしたくらいの「チップ」と呼ばれるデバイスが、いくつも並んでいる。

それぞれのチップの中では、F氏の肝臓や膵臓、心臓、腸管、神経などの細胞が培養されている。それらはすべて細い管でつながれ、血液に似た培養液が循環している。つまりF氏の体の中が、1000分の1くらいのサイズで再現されているのだ。これも一種の合成生物学と言えるだろう。

このミニミーにウイルスを感染させ、薬を流して、最も理想的な治療方法を探すのである。場合によっては、まったく新しい薬や、開発中の薬を試すかもしれない。いわゆる「オーダーメイド医療」だが、F氏自身の体を使うわけではないので、まったくリスクはない。

最初のミニミーは、おそらく親が子供のために用意することになるだろう。たとえば生まれた赤ん坊の体から、すぐにiPS細胞をつくってさまざまな臓器の細胞へと分化させ、チップの上にミニチュアの「身代わり」を構築しておいてやるのである。

このミニミーにつながる研究は、すでに進められている。海外では「Organ on a Chip(チップ上の臓器)」とか「Body on a Chip(チップ上の体)」「Human on a Chip(チップ上の人間)」そして「You on a Chip(チップ上のあなた)」といった言葉が、すでに使われているらしい。

日本にもミニミーの原型になりうるデバイスを開発中の研究者がいる。東京工業大学生命理工学院准教授の田川陽一(たがわ・よういち)さんだ(写真2)。しかし田川さんの視線の先にあるのは「人間の身代わりになるもの」だけではない。最終的に得たいのは、やはり生命の起源にも関わる根源的な問いへの「答え」だ。

田川 陽一 さん
  写真2 田川 陽一 さん

巨大なクワガタをつくりだす夢

もともと田川さんは生き物が好きで、昆虫少年だった時代もあるという。日本最大級のクワガタムシであるオオクワガタは、当時「生きている黒いダイヤ」と呼ばれて宝石並みの値段がついた。しかし大陸へ行けば、もっと大きなオオクワガタ(たとえばアンタエウスオオクワガタなど)がいる。そういうのと掛け合わせたら、日本のオオクワガタもさらに大きく見栄えのするものになるのではないかと、子供心に考えていた。

実際に掛け合わせてみたこともあったが、そうする前から新しいクワガタの名前は「タガワクワガタ」に決めていた。「俺はタガワクワガタをつくるぞ!」などと小学校のころから宣言していた。この名前は回文で、左から読んでも右から読んでも同じになる。ペットショップに「タガワクワガタ1匹××万円」などと掲げられる日を夢見ていた。

そんなふうに昆虫を繁殖させたり、何か面白い生き物がつくれないかと、小さいころからよく考えていたという。

その夢は結局、果たせなかったが(果たしていたら種の多様性を保護する観点から問題になっていただろう)、今でも昆虫は好きで趣味的に研究をしたこともある。実際に田川さんは、カブトムシの新種のオスを発見した。そして昆虫が趣味の人にとっては「ネイチャー」にも匹敵する、あこがれの雑誌に論文を発表した(写真3)。新種の名前は「ヒサマツサイカブトムシ」で、南大東島に生息している。

すでにメスは報告されていたのだが、オスが見つかっていなかった。それを田川さんが、とある虫好きが集めた標本の中に発見したのである。

「これで地元(南大東島)の人に喜んでもらえるかと思っていたら、コレクターが集まってきて畑を荒らしたりするので、むしろ迷惑がられているらしいんです」と田川さんは苦笑いする。

【写真】ヒサマツサイカブトムシのオス発見を報告した論文
  写真3 田川さんがヒサマツサイカブトムシのオス発見を報告した論文(「月刊むし」No. 384, p. 12)

「幻のタガワクワガタは、今では別の趣味である切り絵として量産されている(写真4)。研究の合間の気晴らしに、10分ほどハサミを動かせばできてしまうらしい。田川さんの研究室には、他にも色々な紙の虫が転がっている。これも新しい生き物をつくりだしたいという、子供のころからの衝動と無縁ではなさそうだ。そして本業の研究では、チップの上で哺乳類に相当する「生命体」を構築しようとしている。

【写真】切り絵のタガワクワガタ
  写真4 田川さんが作った「タガワクワガタ」の切り絵