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ハーバード大学名誉教授が答える「勉強しなければならない理由」

クリエイティブな発想を生む方法とは
広中平祐氏の『学問の発見』が初刊行されたのは、いまから36年前のこと。4年に一度の国際数学者会議で、すばらしい業績をあげた数学者に贈られ、数学界において最も名誉とされるフィールズ賞。日本人として2人目の受賞となった広中氏が、研究人生を振り返り、「学問とは何か? 創造とは何か?」について語り尽くした『学問の発見』は、当時のベストセラーとなりました。

今回、あらためてブルーバックスで刊行するにあたり、広中氏に、ハーバード大学時代のことや、数学に対する姿勢、考えることや学ぶことについて語ってもらいました。第一級の数学者の視点から、「人は、なぜ勉強しなければならないのか」の答えが、浮かび上がってきます。

ハーバードの天才たち

留学したハーバード大学で、私が師事したザリスキー教授は非常に厳格な人で、弟子には煙たがられる存在でした。あまり弟子もとらず、たとえとったとしても、すぐに他の教授へ押しつけてしまうようなところもありました。

【写真】ハーバードヤード
  ハーバード大学ケンブリッジキャンパスの広がるケンブリッジのハーバードヤード photo by gettyimages

留学した時も、最初は同期の弟子は5人だったのですが、いつの間にか2人が他の教授に回されて、3人になってしまいました。つまり、徹底した少数精鋭主義です。当時の弟子の仲間は、同期のD・マンフォードとM・アルティン、そして、あとから仲間になったS・クライマンの3人で、みんな非常に優秀な人たちでした。

6歳年下のマンフォードは、若い時にイギリスからやってきた人で、非常に頭もいいし、勘もいい人で、勉強に対してとても熱心で、まさに天才的な人。どんな本でもぱっと読んで、その内容をつかんでしまうほどの読書力を持った人でした。

マンフォードが授業中に質問すると、教授がびくっとすることもありました。

大学院に入る前の大学の頃の話ですが、直観力があるので、先生よりも先に答えを見つけてしまったり、先生が間違ったらすぐに指摘してしまうこともありました。先生の方が彼に対して「こわい」と思ってしまうほどの存在でした。ただ、友達としては、とても優しく接してくれたのです。

もう1人の同期のアルティンは3歳年下で、お父さんがE・アルティンといって、とても有名な数学者です。ドイツ人で、子供の時にアメリカにやってきました。プリンストン大学で学んだ後にハーバードに入学し、大学院でこのグループに参加したのです。

アルティンは、のんびりした性格でした。ただ、数学に対しては思いつきがよく、問題の要素をきちっと捉える力が素晴らしかったです。ヒントを見つけたり、パッと思いつくような、いいセンスを持っていました。彼からも多くのことを学びました。

あとから仲間になったクライマンはアメリカ生まれで、弟子4人の中では一番若く、年上の3人に、自分のやっていることを説明して、自分の独自性を示そうと頑張っていました。

フィールズ賞受賞

前に述べたように、ザリスキー教授はとても厳しい人でした。ですが、ハーバード大学の数学教室に飾られている功績者の胸像の中で、生存中に胸像がつくられたのはザリスキー教授だけなのです。その門下生からフィールズ賞受賞者が2人も出た功績を認められてのことです。

【写真】ザリスキーと数学者たち
  右から3人目がオスカー・ザリスキー(Oscar Zariski、1899 - 1986)。1933年ころに若き数学者仲間と撮ったもの photo by gettyimages

フィールズ賞とは、4年に一度の国際数学者会議で、すぐれた業績をあげた40歳以下の数学者に贈られる賞です。

私が1970年に受賞した時の対象研究は、「標数0の体上の代数多様体の特異点の解消および解析多様体の特異点の解消」という代数幾何学の分野の研究です。受賞した当時の年齢は39歳でした。ザリスキー門下の弟子仲間のマンフォードは、4年後の1974年に受賞しています。

そのザリスキー教授が、1981年にハーバード大学から名誉学位を授与された時、私は数学科の主任教授だったので、アカデミックドレスのガウンに帽子姿で、ザリスキー教授を会場まで案内したのを懐かしく覚えています。