「地方創生」とは何だったか?移動しなくなった日本人が直面する課題

より良い生活のために考えるべきこと
貞包 英之 プロフィール

大都市と地方の孤立

以上のように、地方創生には成果だけではなく、実施の正当性そのものが欠けていることがみえてくる。

もちろんだからといって、経済的沈滞や人口減少が放って置かれてよいわけではない。しかしそれらは、大都市を含め一律に対策されるべき問題である。

そうした政府の施策をあくまで前提として、各地域はそれを補い、事情と財政予算に合わせて独自に施策を行えばよいのであり、その際、何を行うか、そしてその結果がどうかは、原則論からいえば、主権者である地方民が選挙で判断すれば良い話である。

にもかかわらず、国が一律に対策の実行を強制し、その結果を一方的に評価していることで、地方創生は「転倒」している。

この意味で国策のもとに地方を競わせ、結果を国が評価する現状の「地方創生」というシステムに正当性はない。

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ただし、では大きな意味での「地方創生」そのものに意義がないかといえば、私はそうは考えない。

しかしその理由を示す前に、現代では地方創生に大きな関心を示さない人も増えており、地方にかかわる思い切った政策を展開できていないのもそのためかもしれないことを確認しておきたい。

そもそも地方創生は、まったく新たに唱えられ始めたわけではない。直近では80年代の「地方の時代」ブームや、90年代の行政改革の推進など、地方の改革がくりかえし試みられてきた。そうした取り組みの土台になったのが、この社会が地方に負ってきた「負債」である。

かつて大都市に住む多くの者が地方を故郷とし、そこに親族を残していた。その状況では自分を育てた地方の家や村や町、学校に「お返し」をすることにあまり疑問は生まれない。

大都市出身の人の場合も同様である。総体として日本社会が地方から出てくる人材に支えられる度合いが強ければ、地方の生活を支え助けることに逆らうことはむずかしくなるためである。

 

しかし問題は現代社会で、地方と大都市を結ぶこうした「お互い様」のきずなが弱体化していることである。

以前みたように(「日本人が「移動」しなくなっているのはナゼ?」)、現在、地方生まれの多くの者が地方に留まり、逆に大都市を出たことのない定住者が増える傾向がみられる。

その結果、大都市と地方は、それぞれ理解しがたい島宇宙のように孤立し始めている。それが「地方創生」の正当性を損なう。

地方創生は、よくも悪くも、大都市から地方への何かしらの再分配を伴うが、それを当然とみなす根拠がこの社会では少なくなっているのである。