早大セクハラ問題、退学した女性に共感するこれだけの理由

早大大学院で私も単位をあきらめた
なかの かおり プロフィール

自ら単位を落とすことを決意

私に問題があったとしても、そこまで言われたらアカデミックハラスメントではないかと思った。でも私は20年の会社員生活の経験から「威圧的な上司は自分が謝らないと収まらない」と判断し、その場は「怒らせてしまって申し訳ありません」と言って退室した。

入学時に大学のハラスメント相談窓口のパンフレットをもらっていた。連絡しようと、パンフレットのメールアドレスを何度も眺めた。とりあえず講師に言われた言葉をノートに記録しておいた。

しばらく考え、結果を予想してみた。相談窓口に行っても、取り合ってもらえないかもしれない。そうなれば大学に不信感を持ってしまうし、修了までに違うトラブルが起きないとも限らない。最終的に、その講義に出席するのをやめて自ら単位を落とす選択をした。

大学院は学問を教授・研究する場だが、社会人経験を積んだ立場で見ると、学生は高い授業料を納め時間を割いて通う「お客さん」でもある。そうはいっても、教員は学生の単位・修了を握る絶対的な存在で、研究を進め成果を発表するには教授の力がなかったら不可能。だからこそ、疑問があっても学生は受け流すか我慢するしかない。

 

女性だから?の判断は難しさも

この件もあり、私は他の講義に出る際も緊張していた。教員や教授の機嫌を損ねないためにどうすればいいか考えた。私は仕事上、仮に何かあっても記事やコメントを発信できる立場にある。それでも大学院に慣れないうちは、権威という圧につぶされそうだった。

社会人の院生は男性が多いので、私が女性だから、仕事の経験を踏まえて発言しても「偉そうに」と反感を買うのかもしれないとも思った。しかし若い院生には、女性の留学生もいる。セクハラ報道を受けて何人かに聞いてみると、ヨーロッパの大学ではハラスメントに対して意識が高く教員も気をつけているそうだ。その院生は「早稲田の先生が、女性を外見で判断する発言をした」と驚いていた

アジアからの留学生は、母国でもセクハラ・パワハラが問題になっているとしながらも、「早稲田で教授に差別的な扱いをされた。どこに訴えればいいのか」と悔しがる。こうしたエピソードを客観的に聞くと、教授の感覚を疑ってしまう。

もちろん、女性の教員や院生でもきついタイプの人はいる。性的な部分にフォーカスするより、ハラスメントが起きやすい構造が問題だと思う。閉じられた世界で一部の人が権威を持ちすぎるアンバランスな人間関係が当たり前になり、常識が見えなくなってハラスメントが起きる。さらに被害者を救うべき周りの人も、権威には勝てないから訴え出ない方が身のためと促し、なかったことにしようとする

自由と多様性を重んじるはずが

今回のセクハラ問題をきっかけに、早稲田に限らず権威に偏ってそれがおかしいと気づかないまま運営している大学や企業、組織が少しでも変わればと願う。権威を弱い立場の人に押し付けるのは、ハラスメントになる。周囲が容認する雰囲気があるならば変えるべきだし、起きてしまっても被害者に寄り添う当たり前の対応が必要だと。

退学した女性の発信がウェブメディアやツイッターといった新しい媒体によって広まり、「もみ消しは通用しない」と示せたのは救いだ。私自身が現役の院生であり、発言するのはどうかと迷ったが、知らないふりというわけにはいかない。四半世紀前に早稲田の「在野精神」を知り、新聞社で「誰かの役に立つ情報を発信する大切さ」を教育されたから。

「官立」の大学に対し、在野的な自由と多様性を重んじた早稲田。学部時代の私は、「早稲田は勉強に限らずスポーツや音楽活動、留学やアルバイトなど多様な選択肢があって、そこから自分で何かをつかみ取る場所」と理解していた。本来は、学生の反骨精神やのし上がろうとする気持ちを認められるのが「早稲田らしい」と言われてきたのだ。

先日、早稲田の卒業生からなる「稲門会」の支部メンバーと交流した。様々な職種・年代の卒業生が、母校の過ちも含めて見守っている。私も早稲田がどうなるか、内側からも、ジャーナリストとしても、ウォッチしていきたい。