時代遅れ…?広告クリエイターは「広告ではない何か」を創造できるか

~とあるクリエイターの問いかけ

絶滅危惧種になったのか

いま、学生たちは、どんな職業に憧れているのだろうか。未来を創る仕事といえば?と聞かれたら、彼らは何と答えるだろうか。

ほぼ日=糸井重里、サムライ=佐藤可士和、TUGBOAT、博報堂ケトル=嶋浩一郎……10年以上前から有名な人物が何人もいるように、「広告クリエイター」という仕事は、ここ最近までは人気の職業だった。今となってはIT起業家やユーチューバーの人気の陰に隠れてしまい、すっかり一般の人の間で話題になることが少なくなった。

 

ぼくは、2007年に博報堂という大手の広告会社に入社し、2017年に「The Breakthrough Company GO」という会社を立ち上げた。設立から一年半。ケンドリックラマーの来日ポスターも作ったし、NTTdocomoの新規事業のコンサルティングもしているし、スタートアップと共同でサービス開発もしている。

広告会社なんですか? PR会社なんですか? コンサルなんですか? と聞かれる。たしかに「The Breakthrough Company」ってなんだよ。

これは、広告とPRだけの会社だと思われたくないというぼくの意志の現れだ。でも、ぼくの名刺にはCreativeDirectorと書いてある。紛れもなく、ぼくは「広告クリエイター」だ。

この、あたかも絶滅危惧種のような「広告クリエイター」という仕事がいったいなんなのか、そしてこれから先、どんな仕事になっていくのかを考えることは、そのまま、今の時代における「クリエイティブとは何か」を考えることだ。

ぼくが博報堂を辞めるとき、残念がって引き止めてくれた先輩がいた。だが彼もまた、それから一年もしないうちにこう言って独立してしまった。

「クリエイティブが業界のままで終わるのか、産業になりうるのか、今がまさに時代の分水嶺だ」

作品なのか、どうかなんて

10年以上博報堂で働いていて、ずっと不思議だったことがある。広告のクリエイターは、自分たちが作った広告を「作品」と呼ぶのだ。カンヌ広告祭(カンヌライオンズクリエイティブフェスティバル)の報告会などでも、「気になった作品は?」などと聞かれることがわりとある。新国立美術館見学はとバスツアーの帰り道の感想会かよ。

当たり前だが、広告はアートではない。広告代理店、そしてそこに所属するクリエイターにとっては、クライアントのビジネスに貢献するために作られた「納品物」だ。お金も著作権も、広告クリエイターのものではない。企画者が制作物にプライドを持つのは重要なことだが、それは作品単体の完成度ではなく、いかにクライアントのビジネスに貢献できたかという視点でのみあるべきだ。

この違和感について、博報堂のクリエイティブ部門に所属していた時代に、上司と議論したことがある。「単なる頼まれ仕事とかたづけることもできるクライアントの広告を、自分の作品と呼んでしまうほどの執着こそが、広告のクオリティを高めている」と彼は言った。

わかる、わかるけど。おじさんのクリエイティブディレクターが、ポスターに配置する車の向きに6時間くらい悩むという地獄のような打ち合わせの帰り道だったので、あまり納得できなかった。ただただ朝焼けが目に染みた。

しばらくして僕もクリエイティブディレクターになり、クライアントや一般の人が気にしないような微差を積み重ねて、ようやく表現が人を動かすに至るということを体得した。たった15秒のCMでは、女優のセリフが「好きだ」なのか「好きだよ」なのか、という違いだけで市場の動きが変わることだって実際にあるのだ。

神は細部に宿る。当時の上司はいつも「60と40で60を選ぶのは誰でもできる。クリエイティブディレクターは51と49で51を選ぶ仕事だ」と言っていた。