阿曽山大噴火が振り返る「私がみた麻原裁判」

言わずもがな、と思っていたけれど

振り返ってみると…

阿曽山大噴火です。簡単に自己紹介を。

死刑囚の数が124人から117人に減ったのが、2018年7月6日。その3日後、私は東京メトロの霞ヶ関駅にいました。地下鉄サリン事件の現場のひとつであるこの駅に降りて、思いを馳せるか……という狙いではなく、現代ビジネスから松本智津夫の公判の話を聞かせてほしいという取材の依頼があったから。拙著『裁判大噴火』というさまざまな傍聴記が書かれた本の中に、「オウム裁判-裁判長編」と、「オウム裁判-弁護人編」があるので、呼ばれたのでしょう。

この手のインタビュー取材は記者の意図が色濃く出るから面白いと思っています。取材をする段階で、どんな質問をするのか、どんな角度から切り取るのか狙いがあるからです。

自分もラジオ番組で専門家や当事者に話を伺う立場のときは、ある程度の流れを想定をした上で「こんな質問をしよう」「アノ話を聞きださなきゃ」と思っているわけです。当然、狙い通りではなく、思っていたのと違う方向へ流れていくことも多々あって、それはそれで面白いわけですが。

逆に新聞や雑誌で取材を受ける立場の時は、たとえばオウム裁判の話をしても、記者によって反応は様々。「この辺は食いつくのか」「もっと質問してこないのか」などなど、こっちとしても非常に興味深い。全く同じ話でも、取材する側にハッキリとして狙いがあるからリアクションが違うのは当然ですよね。早い話、取材する側も取材されてるんです。記者の考えや意図が見え隠れするから、読んでいても面白い。

そして、今日7月9日。いったい、どんな狙いで訊いている記者なのか。私が14年も前に書いた本の中の傍聴記を元に確認するような質問に終始するのか、それ以外の話を聞きだそうとするのか。江川詔子さんや青沼陽一郎さんの傍聴記と比較して多角的にオウム裁判について訊いてくるのか。要するに、私を使ってオウムについて何を伝えようとしてるのか、楽しみな取材です。

そしたら、数日後。文章をこちらでまとめることに。インタビューされた人が、インタビューの文字起こしして、まとめるということに。それが、記者の狙いだったのか? 新といえば新しいやり方ではあるけれど、伝えたいことがあって呼び出されたのかと思ったら、そうではなかったようで、自分のインタビュー音源を面食らいながら文字起こしするという人生初の作業をしている芸人です。と、ここまでが自己紹介。

 

記者「裁判の話の前にオウム真理教と麻原彰晃をどのように知りましたか?」
阿曽山「普通にバラエティ番組とか出てたりってかんじじゃないですかね。宗教ブームというか」
記者「なるほど。そのときの印象は?」
阿曽山「変な人たちだなぁというのはありましたけど。被り物して選挙出たり、お店やったりとか、変わった団体だなって。そのトップの人が、生ダラとか出てるなぁくらいで」
記者「その生ダラを見ていたころっていうのは、もう東京に出てきてたんですか?」
阿曽山「まだだと思います。高校2年から3年とかだと思うので」

記者「結構テレビっ子だったんですか?」
阿曽山「そんなことないと思うんですけどね。どちらかというと、ラジオの方をよく聴いてました」
記者「それでいろんな事件が起きていくわけじゃないですか。キッカケとなったのが、(松本サリン事件で?)逮捕されてからだと思うんですけど、地下鉄サリン事件。その辺があって裁判が始まる。なんで、裁判を傍聴に行こうと思ったんですか?」

逮捕された後に、地下鉄サリン事件というのが、何を指していたのかわからなかったけど、裁判傍聴のきっかけという超定番の質問です。この質問をされるとなんとも言えない虚しさやトローンとしたダリの記憶の固執の絵の中に入ったような感覚になることがあります。聞き手は下調べをしているから答えはわかっている。でも訊かざるをえない。こっちは2000回以上も話している内容なわけでして。なんとも、トローンな感じです。

キュツと短くまとめると、1999年5月。私の所属している大川興業の総裁が、週刊プレイボーイで連載していた、「政治の現場すっとこどっこい」の中で、松本智津夫被告人の裁判はどうなっているのかという記事を書くことになり、傍聴券を入手するために抽選に並ばされたというのがきっかけ。で、当たったので見たと。

記者「結構大勢で並んだんですか?」
阿曽山「若手全員で」

人数までは訊かれなかったけど、10人ちょっとだったろうか。あの時並んでて、今も事務所に残っているのは、倉元幸二と鉄板■魔太郎だけなので、こうして振り返ってみると、時間の流れを感じるものだ。

記者「その時の裁判の記憶は?」
阿曽山「ワイドショーで毎日オウムを取り上げていた頃なので、目の前に麻原だー!って思っただけで、やり取りとかは裁判自体見たことがなかったので、内容はもう」
記者「それが第1回目の傍聴で、初公判ですか?」
阿曽山「初公判の頃は、裁判所に行ったこともないし、大川興業にも入っていないので」
記者「初めて行ったのは何回目だったのですか?」
阿曽山「100回は越えていたと思います」

第何回公判だったのかは全く覚えていないのです。抽選に並ぶために東京地裁に来ただけだから、メモ帳すら持っていなかったし。人間の記憶というのは頼りないもんです。

記者「裁判傍聴がライフワークになったのは?」
阿曽山「雑誌の連載が始まったので」
記者「日常的に傍聴してるからオファーがあったんですか?」
阿曽山「『月刊創』の総裁の連載の中で、2ページを読者に売るって企画があって。でも、応募がなかったのか、事務所の若手で毎月書くことになったんです。で、1回目を書いたら本にしようという話が持ち上がって、毎月書くことになったんです」

総裁の方からはホームレス日記を書いてみたらどうかと提案はあったんだけど、ホームレス生活はパチスロ雑誌のレイン際で書いていたので、裁判の傍聴記を書いてみたというわけです。

って言うか、松本智津夫の裁判の話を聞きに来てるはずなのに、その辺に興味がないのか話がそれているような……。

記者「オウム裁判で印象に残っていることは?」

と、松本智津夫の話ではなく、他の裁判を含めたざっくりとした質問に。オウム裁判って被告人190人以上いますからね。軌道修正しないと。

阿曽山「誰が検察官で誰が弁護人なのか、他にも書記官・速記官・事務官、誰が誰なのかもわかってなくて、松本被告人の裁判は十数件起訴されてるからどれのどの部分をやってるのかも全くわかってない状態で。やり取りといわれると、証人尋問で上九一色村へ向かう車を運転してた人に、車内にあった缶の向きがどっちだったか、みないたことを訊いていて、裁判ってこんな細かいことやってるんだなぁと」

どうやら、この裁判では元信者が証人として出廷していて、検察官から質問を受けていたようです。どうやら……というのは、ぼんやりとした記憶しかなくて、資料を見て確認してるから。そのやり取りは、

検察官「あなたは松本智津夫と奥さんを乗せて、ワゴン車を運転してたんですよね?」
証人「そうです」
検察官「2人は後部座席に座ってたんですよね」
証人「はい」
検察官「ヘッドギアをつけて運転してたようですが、ちゃんと見えてるもんなんですか?」
証人「普通に見えます」
検察官「どっち側に松本智津夫が座っていたか憶えてないんですよね?」
証人「後ろを振り返ったときに座っていたのは憶えています」
検察官「どっち側に振り返ったんですか?」
証人「多分、左。助手席側だと思います」
検察官「だったら、助手席側のドリンクホルダーに入っていた缶ジュースはどっちの方に向いていましたか?」
裁判長「もうその辺はいいんじゃないですか」

という質疑応答。検察官としては、ドリンクホルダーの中の缶の向きも憶えていない、記憶の曖昧な証人の言うことなんて信用できないでしょってアピールなんだろうけど、裁判長的にはそんなこまごましたことはどうでもいいわってことだったんでしょうね。個人的にも、はじめて刑事裁判見に来たのに、「なるほど、裁判が時間がかかるってこういうことなのか」と勝手に納得してたもんなぁ。