松本元死刑囚の遺骨は「太平洋に散骨」されるのか〔PHOTO〕gettyimages

松本智津夫の「遺骨」はどこへ…? 骨から社会の変化が見えてくる

葬法は時代を映す鏡である

松本智津夫元死刑囚の遺骨のゆくえが話題になっている。

国は四女側の「太平洋に散骨」という案を推しているようで様々な議論を呼んでいる。

今でも日本では、遺体を焼き、骨を墓に納めるのがもっとも一般的な葬法だろう。

だが、良くも悪くも歴史に名を残した人物の葬法はこれまでも問題になってきたし、散骨はそうした人物の葬法としてしばしば用いられてきた。そして近年では、一般の人々の葬法としても広がりを見せている。

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散骨の2つのかたち

あらためて確認しておくと、散骨とは、遺骨を粉々に砕き海や山などにまく葬法だ。自宅の家の庭や思い出の場所にまく場合もある。日本では檀家になっている寺にある先祖代々の墓に納骨し、その墓を守ることが子孫の務めという考え方が強い。

その分、骨のありかがわからなくなってしまう散骨は奇異に見られてきたが、20世紀末から徐々に広がってきた。散骨は、墓への埋葬と異なり、故人の場所が固定されないのが特徴だが、大きく2つのタイプに分けられるだろう。

1つ目の忘却タイプは、例えばアドルフ・アイヒマンである。ナチスの幹部であり、アウシュヴィッツ強制収容所所長も務め、ホロコーストに深く関与した人物だ。

第2次大戦後はアルゼンチンに逃亡していたが、イスラエルの諜報機関モサドが極秘作戦で連行し、エルサレムで裁判にかけられた。この裁判を傍聴したハンナ・アレントが、アイヒマンを陳腐な悪と評したことも知られている。

アイヒマンには死刑判決が下され、1962年5月、絞首刑に処され、その遺灰は地中海にまかれた。

近年ではウサマ・ビン・ラディンも同様だ。2011年5月2日、パキスタンの潜伏先の邸宅を米海軍の特殊部隊が急襲し、銃撃戦の後に殺害された。

遺体は空母カール・ビンソンに収容され、海軍上層部だけが立ち会う形で水葬にされたと発表された。遺体は洗浄され、白い布をかけて板の上に置かれ、その板を傾けて海に落とされたという。

こうしたアイヒマンやビン・ラディンの例は、遺骨や遺体の場所の特定不可能にすることで、その後の聖地化や遺骨のシンボル化を防ごうとするものだ。できるだけ早く、死者の記憶を胡散霧消させようとするものと言えるだろう。

 

もう1つの慰霊顕彰タイプは偉大な政治家や芸術家に対して行われるものだ。例えばジャワハルラール・ネルーである。

ネルーは、マハトマ・ガンディーとともにインド独立運動を指導し、インド初代首相となった。ネルーは、空からの散骨によって土や塵とともに降り注ぎ、インドの大地の一部になりたいという遺言を残していた。

ガンディーの場合も同様で、ガンジス河とヤムナー河の合流点で流骨式が行われ、100万人が集まったという。

ヤムナー河では、日本人の流骨も行われたことがある。1972年6月14日、日本航空ニューデリー墜落事故が起きる。その犠牲となった日本人女性の遺体がインドで火葬され、その一部が河に流されたのである。