老舗の新書ブランドはどこまで変えていいのか、変えてはいけないのか

岩波新書 VS.講談社現代新書
「岩波新書VS.現代新書」……と言っても「対決」ではなくて「対談」です。岩波新書の編集長・永沼浩一さんの発案により、「新書」の可能性についていろいろとお話をさせてもらいました。岩波新書のウェブサイト「B面の岩波新書」に掲載された記事「編集長を訪ねて 第4回」を、一部改変した上で現代新書のウェブサイトでもお届けします。全文についてはぜひ「B面の岩波新書」をご覧ください。永沼さん、お土産のアップルパイごちそうさまでした。(講談社現代新書編集長 青木肇)

新書未経験者なのに……いいの?

永沼さん(以下、敬称略) 青木さんとお会いするのは今日が初めてですね。どうぞはじめまして。

青木 はじめまして。

永沼 現代新書さんの編集長が替わられたらしいと風の便りで聞きまして、前からお目にかかりたいなと思っていたんです。今日は楽しみにして来ました。まずは青木さんのご経歴を聞かせていただけますか?

青木 入社は1993年です。最初は「週刊現代」や「FRIDAY」の編集部におりまして、2000年に「月刊現代」に移りました。そこが水が合ったというか、著者の方と一緒にものを作っていく仕事の面白さに目覚めまして、8年ぐらい「月刊現代」の編集部にいました。

そのあとは、書籍の編集部ですね。ちょうど翻訳グループという部署ができまして、そこへ異動になりました。

永沼 青木さんは雑誌の「G2」も手がけていらしたと聞いたのですが。

青木 あ、そうですね、最後の第19号だけですけれども。「G2」は、「月刊現代」の後継誌といいますか、ノンフィクションの火を絶やしたくないというささやかな抵抗というか、そういう感じで、有志の編集者が集まるかたちで始まったものなんです。最後の19号はとにかく自分の作りたい雑誌を作ろうと思って、ほぼ一人で全部手がけました。商業的には大惨敗でしたけど……。

「月刊現代」が休刊になったのが2008年だったのですが、どうもそのあたりから、「いまのままだとノンフィクションはかなり厳しいことになる」という話が出ていました。

いまから思うと時代の流れかなとも思いますが、「月刊現代」の休刊は私にとってすごくショックでした。だから、その頃ぐらいから、「ノンフィクションって、これからどうすればいいんだろう?」というようなことを考え続けてきた気がします。

 

永沼 その「G2」の最終号を仕上げてから現代新書に移られたのですか?

青木 2016年2月ですから、その半年後ぐらいですね。いきなり「現代新書をやれ」と言われて、本当によくわからないまま来てしまったという感じです。私、現代新書はまったくの未経験者だったものですから。

永沼 え、たしか、現代新書には編集長として移られてきたのですよね?

青木 そうです。

永沼 ……大変ですよね。

青木 よく考えたら無茶苦茶ですよ(笑)。でも、私は編集長ではあるのですが、職務上は編集部の人たちは部下というよりは同僚なのです。もっとハッキリ言えば、彼らの協力がないと何も作れないし、わからないわけですよ。

最初のうちは、企画会議でも聖職者のペテロとパウロを知ったかぶりして間違えて、教養タップリの先輩編集者から「お話になりませんね」と言われてしまったりとか、いろいろ恥ずかしい思いをしました(笑)

永沼 現代新書というと教養新書の側面もあって、そのあたりが、青木さんがこれまで手がけてきた本と違うところでしょうね。

青木 全然違いますよね。そもそも私は大学の先生に原稿を書いていただいた経験がほとんどなかったですし、新書は本の作り方も違いますし。私がこれまで担当してきた本はとにかく突貫作業で、もう本当に不眠不休でガーッと一気に作って校閲担当者が激怒するとか、そういう本ばかりでしたから。

でも、現代新書は3年も、場合によっては5年以上もかけて、じっくりじっくり蒸留酒のように作る本が多いですよね。こういう本作りは経験したことがなかったので、「あぁ、こうやって作るんだ」と逆に新鮮な感動をおぼえました。