「你好(ニーハオ)、你好」「歓迎(ファンイン)、歓迎」――介護スタッフが、手をたたきながら出迎えます。
朝9時過ぎ。東京・板橋区にあるデイサービス「長寿楽園」に、送迎の車に乗って高齢者が次々に到着します。車体には「中国語対応OK」の文字。ここは元中国残留孤児やその配偶者、その子供たち(残留孤児二世)ら、中国から帰国した人たちを主な対象とする高齢者介護施設なのです。
まもなくやってくる8月9日は、第二次世界大戦末期、日本人開拓団が多く入植していた旧満洲国などの中国東北地方で、ソ連軍が中立条約を破棄し日本軍と戦争を始めた日です。
戦争とそれに続く戦後の混乱の中、男性は大部分が軍隊に取られていたので、日本人は女性と子供だけで逃げまどっていました。
多くの子供が家族を亡くしたり、逃げる途中で家族と離れ離れになったり、あるいは家族が連れて行くのをあきらめたりして、中国人の養父母に預けられ、育てられました。いわゆる「中国残留孤児」です。
彼らは中国でそれぞれの人生を送っていましたが、1972年に日中の国交が正常化し、紆余曲折を経て、本格的に肉親捜しの調査が行なわれるようになりました。
厚生労働省によると、1980年代以降、日本人と判明し永住帰国してきた人たちはおよそ6700人。その家族もあわせると2万人を超えます。
2015年度の厚生労働省の実態調査では、元残留孤児の9割が70歳を超え、平均年齢は76歳。その中には介護が必要な人も多いとみられます。しかし、言葉の壁や生活習慣の違いなどから、地域で孤立し、家に閉じこもりがちになったり、十分な介護を受けられずにいる人が少なくないのです。
中国語を話せるスタッフがいる介護施設は全国にも少なく、また帰国者が住んでいる地域にあるとも限りません。
「長寿楽園」は、残留孤児二世の庄司正美さん(57)が中心になって、去年10月に開所しました。
庄司さんは、残留孤児だった両親と一緒に20代前半で来日、現在は中国料理店を経営していますが、亡くなった母親は介護施設には行きたがらなかったそうです。
「帰国者が日々穏やかに楽しく暮らし、孤独や病気の苦しみが和らぐような場所を作りたい」
そう考えて、介護事業を始めました。中国語のできるスタッフはなかなか見つからないため、庄司さんの姪で残留孤児三世、管理者の三上貴世さん(45)をはじめ、家族や親戚が総動員で手伝っています。
開所以来、利用者は板橋区や練馬区、さらに葛飾区や中野区などにも広がり、口コミでさらに遠方からの相談もあるといいます。しかし、送迎ができない距離の場合は、断らざるをえないことも多いようです。