Photo by iStock

今上天皇の退位をめぐる議論、その最大の争点

天皇の「象徴」性とは何だろうか

『旧約聖書』と『天皇の歴史』


夏が近づくと、お盆休みにどんな本を読もうか、わくわくする。隙あらば、久闊を叙せんと、にじり寄ってくる親類縁者を撃退しつつ、故郷の縁側に寝転んで本を読むのは至福の時間だ。

今年の候補は二つ。一つめは『旧約聖書』である。この歳まで読めずにきた最大の理由はその分量にあり、旧約聖書翻訳委員会訳の岩波書店版で全4巻にもなる。ただ、古今東西の歴史叙述に触れる度に、該方面の知見は必須だと痛感してはいた。

だが、読まねばならないと決意したのは、奥泉光『『吾輩は猫である』殺人事件』(河出文庫)の新装版あとがきを読んでいた時だ。庭にやってくる野良猫に作家が、『旧約』「創世記」から、セム、ハム、ヤペテ、……シメオン等々、次々と命名してゆくのを読むと、もう、堪らない。

もう一つの候補は、現在のところ全10巻中8巻までが刊行済みの講談社学術文庫版『天皇の歴史』シリーズである。神なき国で近代化を図ろうと試みた伊藤博文並びに明治国家が、天皇並びに皇室を、「人心帰一の機軸」と位置づけていた(瀧井一博編『伊藤博文演説集』〔講談社学術文庫〕)ことなど、読者はご存知だろうか。

キリスト教などの宗教によって人々の心をまとめ上げるのが難しい日本にあっては、天皇を中心に据えるしかないとの覚悟だった。そのような関係を考えれば、『旧約聖書』と『天皇の歴史』を二つながら読んでみるのも悪くない。

来年4月30日に譲位する今上天皇にとっては最後となる、本年8月15日の全国戦没者追悼式での「おことば」の内容に注目が集まる夏であれば、なおさらだ。

ただ、『天皇の歴史』の執筆者の一人なのに、私が未だ本シリーズを読んでいないのを訝る向きもあるだろう。だが、原本刊行の折には、自分の原稿を書くのに手一杯で、大津透氏の第1巻『神話から歴史へ』から西川誠氏の第7巻『明治天皇の大日本帝国』まで、先行する巻をきちんと読めてはいなかった。

よって、文庫化を機に完全読破をめざそうというものだ。皆さまもいかがか。