リベラル家庭で育った妙齢日本人女子が「ネット右翼」になるまで

誰でもネトウヨになる可能性がある
王谷 晶 プロフィール

暴力と快感は容易に結びつく

それまで私は個人的に外国人に嫌な思いをさせられたことはなく、逆にバイト先で面倒を見てもらったりした経験しかなかった。映画も中国、韓国、香港映画を好んで観ていたし、悪印象どころか好感を持っていた。

はずなのに、私は中韓叩き記事をむさぼり読んでは快感を感じるようになっていた。明らかに理屈が通らないのに、そのときはおかしいとも思わなかった。日本がホメられて嬉しい、では飽き足らず、叩くべき「敵」が人生に現れて楽しかった。なんか目的ができた気になった。バカみたいな話だけど、確かにそういう気持ちだったのだ。

けど、ある日いつものように中韓叩きまとめブログを読んでいたとき。

 

そこは国内のニュースもトピックに挙げることがあり、その日は電車内の痴漢のニュースが取り上げられていた。まとめられた2ちゃんの意見もコメント欄も、「冤罪をかぶせて金をむしり取る女は死刑」「ちょっと触られたくらいで大げさ」「ブス・ババアほど痴漢と騒ぐ」「女はクズ。まんこしか価値なし」等の女叩きのオンパレード。一気に頭に血が上って反論を書き込み一通りネット上で匿名の相手と罵り合いを続けた。

話は当然噛み合わず平行線の揚げ足取り合戦になり、私は疲れて、そしてふいに気づいてしまった。いま女という属性をひとまとめにされ偏見でもって叩かれ侮辱されていることに怒っているけれど、それは、この数年、自分が中国や韓国に向けてやってたことと同じだ。

目にはまっていたブ厚いウロコが、ぼろっともげ落ちた気分だった。一度そう気付いてしまうと、それまで普通に読んでた中韓叩きまとめ記事が、ソースも曖昧で偏見まみれで悪意が先に立つものばかりなのが分かってしまった。

こんなものをありがたがって読んでいた自分が情けなくなったけど、それよりも恥ずかしかったのは、外国や外国人が叩かれている時は気にならなかったのに、自分と同じ女という属性が叩かれているのを読んで、やっとその行為の酷さに気付いた己の鈍感さ、自己中心っぷりだった。

私はかなりリベラルな家庭環境で育っていて、両親からは今まで一度も人種差別、外国人差別的な話を聞いたことがない。人権や平等の大切さみたいな話を子供のころから聞かされていたし、それに反発もおぼえなかった。それでも、私はネット右翼に染まってしまった。ほんとうに酷い事をした。反省してもしきれないし、人生トップクラスに恥ずかしい行為だと思っている。

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自分の中の「差別したい、罵りたい、殴りたい」という衝動に向き合って、心の檻の中で飼い慣らさなきゃいけないんだな、と理解したのは、通院が終わり薬と酒のチャンポンをやめて頭の中が少しすっきりしてからだ。私は気をつけないとすぐ差別や侮辱や暴力を「そんなつもりはなかった」と言いながらやらかしてしまう人間なのがよく分かった。

暴論を承知で言うけれど、誰かを罵倒したりいじめたりするのは、基本的に人間にとって「楽しいこと」なのだと思う。倒すべき敵がいるという妄想も、人生に目標ができたみたいでテンションのあがるシチュエーションだ。

暴力と快感は容易に結びつく。でもそれを理性で止めることができるのもまた人間の人間らしさなはず。仮に嫌いな相手でも、暴力を振るわず生きてくことはできるはず。難しいけど。

しかしそういう方向を目指していかないと人って簡単に殺すし殺されてしまう。差別が殺人や自殺に発展したニュースを、毎日のように目にしている。

人間死んだらおしまいだ。他人を勝手に終わらせたり自分が終わりになってしまわないように、だから私はときどき己の「ネット右翼」時代を思い出す。

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