豪雨被災地・真備町で、倉敷出身の編集部員が目にした現実

暑さと泥との過酷な闘い
現代ビジネス編集部

こびりついた泥

ボランティアセンターのおかれている真備保健福祉会館には、ボランティアを乗せた車両や消防、水道局などの車両がひっきりなしに出入りしていた。バスから降りるとすぐにスタッフの指示があり、5人の小班を編成して説明を受ける。赤十字、連合、日本財団、ピースボートなどの各団体が手分けして全体の指揮をしているらしい。

地区のリーダーをつとめる住民の男性についてゆき、被災した各戸をまわり、ボランティアが必要な家には小班が残る。ひとつの家にひとつの班が一対一で対応するかたちだ。私の班が入ったのは、支所近くに住む70代のご夫婦のお宅だった。

聞くと、すでに家財道具の運び出しはほとんど終わり、屋内と庭にたまった泥を撤去している段階だという。私たちは2階へ上がり、残った泥を集めて土嚢袋に詰め、外に出す作業にあたった。

 

1階では、「知り合いが持ってきてくれた」という高圧洗浄機で、ポーチにこびりついた分厚い泥を洗い流している。しかし、2階の部屋に水を撒くわけにもいかないし、ベランダに掘られている排水溝と水を逃す樋(とい)には、泥がギッチリと詰まっていて流せそうもない。

畳が剥がされ板が露出した床に、乾いた泥が一面にこびりついている。スコップで叩き、割って剥がして掃き集める。サッシに詰まった泥をかき出す。室内とはいえ、サウナのように蒸し暑い。直射日光の下でないだけ、まだありがたかった。

舞い上がる目の細かい砂と、際限なく流れ落ちる汗が、マスクとゴーグルの中に入ってくる。泥だらけの手では拭おうにも拭えない。結膜炎が多発しているのも頷ける。

20分作業、10分休憩。厳命されたルールを守っているつもりでも、作業しているうちに時間の感覚が失われてゆく。同じ班の人に「顔が真っ赤じゃ」と言われて休む。脇の下に挟んだ保冷剤があっという間に溶ける。もちろん覚悟はしていたが、それ以上に過酷だった。この家の作業が終わるまで、あと何日かかるのだろう。

2階の部屋の土壁は大きく剥がれて、木の骨組みが露出していた。胸の高さくらいまである染みが、まだ乾かずに残っている。

「2階もほとんど水に浸かってしもうた。天井までは行かんかったけどなぁ」

お母さんが言う。せわしなく行き来しながら、残った家財道具を要るものと要らないものに選別している。私たちが休憩していると、スイカを切って出してくれた。お母さん、働きづめなんじゃろ、ちょっとは休んでください、と声をかけると、

「避難所にずっとおるよりはな(ええよ)。毎日な、(避難所では)全然寝られんのんじゃ。娘はずっと避難所におるんよ。体調が悪い言うて…」

濡れてしまった写真やアルバムを庭先に積み上げながら、そう言っていた。この家にはもう住めないだろう、とも。お父さんが上がり框に敷いて座っていた新聞紙には、この豪雨の犠牲者数を報じる見出しと、水浸しになった真備町の空撮写真が躍っていた。

午前10時ごろに現場に入り、午後12時30分ごろには2階の泥をあらかた除去し終わって、ひと段落した。休憩を除けば、作業できたのは実質、1時間半程度だったかもしれない。

翌日以降のボランティア派遣要望を聞いて、本部に提出する連絡シートに書きつける。泥まみれでまだ手付かずのトイレの処理や、家屋全体の消毒をどこに要請すればいいのか、お母さんは不安がっていた。

「明日からもボランティア、来るように伝えるけん、どうか無理せんでくださいね」

そう言って辞去した。真備町全体では約4600棟が浸水したという。他の被災地をあわせれば、被害にあった家屋は数万棟にのぼる。この日私たちがかかわったのは、その中のたった10畳ほどの空間にすぎなかった。