師範学校仲間の証言から紐解く、野間清治「人気の秘密」

大衆は神である(11)
魚住 昭 プロフィール

川村は内田とは相性がよくなかったから「他の先生なら何とか謝ってやるが、内田先生じゃ困るよ」と言った。それを後ろの方で聞いていた別の教師が「ハッ、ハッ、ハッ」と笑いながら、川村に謝ってやれと促した。以下は川村の証言である。

〈社長(=清治)も「君、親友のよしみだ。しっかり頼む」という。どうも親友はいいが、困ったなあという訳ですが、まあ二人で内田先生といろいろ押し問答して謝った。ところが先生が「じゃ、今日は川村君に注意してもらうということで勘弁してやろう」ということになったが、「今日だけでは困る」といったところが、「どうしても今日だけだ」という。

それから仕方がないからとにかく帰ろうというので、二人で扉を開けて廊下に出た。それで僕はどんどん来たが、社長が来ない。何をしているかと思って後ろを見ると、扉のところで丁寧にお辞儀をしてから、扉の陰で拳をつくって「内田、いまに見ていろ」とやっているのです〉

川村によると、その後、清治の依頼を受けた同級生の館内元(クラスの優等生で、内田の覚えもめでたかったらしい)が内田の説得に成功した。結局、唱歌やオルガンの練習を拒んだ清治の我が儘が通ったことになる。

 

なぜか落第しない

点呼の無視といい、授業のサボりといい、規律の厳しい師範学校ではふつうはありえないことだ。なぜ、清治にはそれが許されたのか。

本人の回想である。

〈厳重なる規則正しい師範におって、退学もされずにすんでおったということはむしろ不思議なくらいのもので、同僚ことごとくこれを不思議と危ぶんでおったことであります。それはひとつには私の性格が人から寛恕されるようなところを余計含んでおるのであろうというようなことを当時からうぬぼれておりました。

むろん四年になったときの成績などは甚だ悪い、落第以上である。(略)不合格点がひとつあってもむろん職員会議の問題になる。なかなか職員会議の議論もやかましかったように聞いております。

私はしばしば職員会議の問題になったのでありましょうが、それが奇妙に落第したことは一生どこの学校でもないので、この師範のときも三年から四年にいく時分、たぶんふたりぐらい落第生があったと記憶しておりますが、私だけは落第しない〉

自分の性格が「人から寛恕されるようなところを余計含んでおる」からという説明は間違っていない。清治は、ずぼらで、怠け者で、無断拝借の常習犯だったが、生徒からも、教師からも好かれた。師範学校はじまって以来の人気者だったといっていいかもしれない。