昭和20(1945)年8月15日正午、天皇がラジオを通じて戦争終結を告げ、3年9ヵ月におよんだ太平洋戦争(当時の呼称は大東亜戦争)が終わると、それまで「本土決戦」に備えて各地に展開していた陸海軍の軍人は、一転して失業者となった。その数は、昭和20年大晦日の朝日新聞によると、陸軍290万人、海軍50万人におよぶ。
敗戦で拠って立つものを全て失った彼らを待っていたのは、生きるため、家族を養うための新たなる戦いだった。連合軍機による空襲や、艦船による艦砲射撃で、日本の主要都市は軒並み焦土と化している。彼らは、あるいは地方で農地を開墾し、またあるいは職を求めて焼け跡の町をさまよい、まさにゼロからのスタートで、それぞれ第二の人生を歩んでいったのだ。
私は、そんな旧軍人数百名を20数年にわたって訪ね歩き、一人一人の生い立ちから戦中の体験、そして、戦後歩んできた道について、聞き取り取材を続けてきた。
7月19日に発売される『証言 零戦 搭乗員がくぐり抜けた地獄の戦場と激動の戦後』(講談社+α文庫)は、零戦を駆って戦った搭乗員たちの戦中、戦後の人生航跡を綴った本で、これで4冊めとなる『証言 零戦』シリーズの、ひとまずの完結編である。
いまから35年前の昭和58(1983)年2月4日、かつて一時代を築いた一人の女性歌手が急逝した。カレン・カーペンター、享年32。兄、リチャード・カーペンターとともに兄妹デュオ「カーペンターズ」として、アメリカのレコードレーベルA&Mから数々のヒット曲を連発、70年代を通じて一世を風靡し続けた。
日本では、昭和45(1970)年、A&Mを傘下に持つイギリスの大手レコード会社・デッカ社と独占販売契約を結んでいたキングレコードから発売された「遥かなる影」が大ヒットしたのを皮切りに、昭和48(1973)年には「イエスタデイ・ワンス・モア」がふたたび大ヒット。この年に発売されたアルバム「ナウ・アンド・ゼン」は、50万枚を売り切った。この時期、カーペンターズの日本でのレコード売り上げは、ライバルEMIが擁するビートルズを上回るほどだった。
――当時、キングレコード洋楽本部長として、カーペンターズを日本に紹介したのが、『証言 零戦 搭乗員がくぐり抜けた地獄の戦場と激動の戦後』に登場する鈴木實(みのる)さんである。鈴木さんは、零戦隊を代表する名指揮官としてもつとに知られている。
私は、平成7(1995)年10月から、平成13(2001)年10月、鈴木さんが91歳で亡くなるまでのちょうど6年間、家族ぐるみのお付き合いをいただきながら、のべ10数回のインタビューを重ねた。奥さんの隆子さんとは、いまも交流がある。