「オウム真理教」キーパーソンと直接対決した、ある芸人の証言

若者よ、オウムは過去のものではない
プチ 鹿島 プロフィール

メディアに消費されたオウム

この当時の模様を、死刑執行翌日の『毎日新聞』のコラムが伝えている。

《「松本智津夫」の名前が毎日新聞の紙面に初めて登場したのは1989年10月26日朝刊である。サンデー毎日のオウム真理教報道で名誉を傷つけられたと主張し毎日新聞社を提訴したと伝える記事だった。》

《「一人の詐欺師が教祖を名乗った戦後50年の悲劇」。強引な布教活動を報道で告発し教団から命を狙われた牧太郎・元サンデー毎日編集長は事件をこう総括した。》(『毎日新聞』7月7日「病理は消えたのか」)


『サンデー毎日』の報道でオウムはスキャンダラスな存在として私は認知したが、一方で90年代に入って麻原らはメディアにも進出し始めた。新宗教ブームの代表としてだけでなく、へんないきもの感がテレビ映えするという理由もあったのだろう。

価値相対主義=おもしろ主義は、麻原彰晃にも目を向けたのだ。絶対主義すら相対化させようとしたのである。

オウムの怪しげさ・スキャンダラスさすらも「平坦に」してしまおうと試み。価値相対主義の当然の流れと言おうか。

先ほどあげたように、私が夢中で見ていたビートたけしさんやとんねるずさんが麻原と同じ画面に映ったのも時代的に必然だったのかもしれない。

オウムの危険さや悪行を追及する報道がある一方で、テレビ番組にも登場した麻原。疑心暗鬼と半信半疑が渦巻くなか、オウムはメディアで消費されていた。

 

圧巻は1991年9月28日『朝まで生テレビ』の「激論! 宗教と若者」である。ここでオウム真理教と幸福の科学が同席したのだ。

できるビジネスマンさながらにスーツに身を包み、やり手感漂う幸福の科学勢に対してオウムはいつもの風体。しかし論戦では引けをとらない。「オウムなかなかやるじゃないか」という評価があったことを覚えている。

幸福の科学の大川総裁は出演しなかったのに麻原彰晃は直々に出てきたのも評価をあげていた(今思えばただの出たがりだったのだろうが……)。

この『朝生』を機に、世間はオウムに対しての視線が少し緩んだ。少なくとも私はそう感じた。『朝生』出演は成功だったのだ。見世物(バラエティ)としても完璧だった。

しかし4年後、オウムは地下鉄サリン事件を起こす。それどころか、すでにメディアに出ていた頃に残忍で凶悪な事件を起こしていたことも知る。『サンデー毎日』の警鐘は正しかったのだ。

地下鉄サリン事件の際の霞ヶ関駅入り口(photo by gettyimages)

面白半分で見物しつつ、飼いならしたと思っていた獣がある日、口中を血だらけにして平然と人間を食い殺していた。

若者よ、そのショックを想像してほしい。世の中全体で呆然とするしかなかった。

マスコミとかバラエティとか文化人とか、誰が悪いというんじゃない。

私だって「あぁ……やっちゃった」という何とも言えない後味の悪さを感じたくらいだ。オウムを懐疑的な目で見つつ、でも半笑いしていた自分に後ろめたさを感じた。あの時代を体験した人はおそらく同じ思いだろう。

絶対主義は強かった。価値相対化をぶっ飛ばした。その恐ろしさをまざまざと確認したのだ。