慶應義塾大学三田キャンパス。「ペンには剣に勝る力あり」にヒントを得て塾生が帽章を作ったことからシンボルマークとなったという Photo by Getty Images

慶應中等部時代に「同性しか好きになれない」と気づいて起こした行動

ティーンエイジャーが性と向き合うとき

つい先ごろ、勝間和代さんが女性との恋愛関係と同棲について、カミングアウトしたことが話題になった。

勝間さんは、僕と同じく慶應義塾中等部という学校を卒業していて、中学から大学にいたるまでの、僕にとっての先輩にあたる。勝間さんのカミングアウトに接して、同じ学び舎で青春の芽生えを味わい、セクシュアリティという問題に悩んだ後輩のひとりとして、僕の中学生時代を振り返ることからはじめてみたい。

こう語るのは、現在はゲイであることをオープンにしている歌人の小佐野彈さん。中学生になってくると、多少の年齢差はあれど「性の目覚め」が訪れてくる。子どもと大人の境目の時期で、様々な点で不安定にもなるものだが、性の目覚めが「異性を対象としたもの」とは限らない。小佐野さんは、勝間和代さんと同じ慶應義塾中等部という場所で「自分自身の性」に気づいたのだという。思春期の繊細な時期にたくさんいる友人たちとの「違い」を感じた時、ティーンエイジャーだった小佐野さんはどう感じ、行動したのだろうか。
 

「いつ好きな女の子ができるんだろう?」

まず、勝間さんや僕が通った慶應義塾という学校の組織について、簡単に説明したい。慶應義塾には、慶應義塾大学をはじめ、いくつかの付属の諸学校がある。

2018年現在では、小学校は2校(慶應義塾幼稚舎と慶應義塾横浜初等部)、中学校は3校(慶應義塾普通部、慶應義塾中等部、慶應義塾湘南藤沢中等部)、高校は5校(慶應義塾高等学校、慶應義塾志木高等学校、慶應義塾女子高等学校、慶應義塾湘南藤沢高等部、慶應義塾ニューヨーク学院高等部)となっている。

僕自身は、当時は慶應義塾における唯一の小学校だった慶應義塾幼稚舎から、慶應義塾中等部に進学した。幼稚舎の男子は、6年生になると上記の3つの中学校から、進学先を選ぶことになる。男子校である普通部、男女共学の中等部、そして新設校で帰国子女などが多い共学校の湘南藤沢中等部である。

慶應義塾大学の向かいに位置する慶應中等部。この裏手に慶應義塾女子高等学校がある 

幼稚舎の男子は大半が普通部に進学する。それでも何人かの仲のいい男子の友人は一緒に中等部に進学したし、女子はほぼ全員が中等部に進学するため、僕の中学生活のスタートは、かなり多くの見知った顔に囲まれたものとなった。

中学に上がると、周りのマセはじめた友人たちが、やれ「誰それは誰それが好きだ」だとか「誰それと誰それは付き合っているらしい」なんていう話をしはじめる。僕は「好きな女の子」ができなかったから、そういう話題をいつも遠巻きに眺めていた。若干の焦りはあったけれど、それでも「そのうち好きな女の子ができるだろう」とのんびり構えていた

そんななか、家に一通の手紙が届く。僕は幼稚舎時代、演劇部に所属しており、その演劇部のひと学年後輩のひとりの少女からの手紙だった。演劇部のなかで学年を越えて親しくなっていき、お互いに深い親愛の情のようなものを抱くようになっていた。

そして、その手紙に僕が返事を出したことから、ふたりの間で文通が始まった。その時は、まさかその少女が将来、芥川賞作家になるなんて思わなかったけれど。

美術部の男の先輩への恋心

中等部に上がった僕は美術部に所属するようになっていた。美術部での一学年上の先輩に、とても淡くて美しい色使いの絵を描く、ものすごくかっこいい同性の先輩がいた。僕は、その先輩のことが気になって気になってしかたがなくて、気づけばいつも彼のことを目で追っていた

同性の先輩への、どうしても否定しようのない強い愛着。いっぽう、文通相手の少女への、ふかい親愛の情。このふたつの感情の間で、僕は葛藤しはじめることになる。

そんな葛藤が芽生え始めたころ、所属していた美術部の合宿があった。その合宿で、僕はそのかっこいい同性の先輩と同じ部屋になった。もちろん何も起こらなかったのだけれど、4泊5日という時間を共に過ごしたことで、僕は先輩への明確な恋心を自覚することとなった。

同じころ、クラスや学年のなかでは、どうやら僕が同性愛者なのではないか、という噂が出回るようになっていた。僕があまりに女子生徒に興味を示さないことに加えて、たしかに当時の僕の言動がどこか中性的だったからだと思う。

幼稚舎時代からの友人の何人かは、僕が幼稚舎時代に親しい女子がいたことなどを告げて、「違うと思う」と言ってくれたりしていたようだけれど、その実僕は本当に同性への恋心を自覚しはじめた頃だったのだから、大いに焦ってしまった。

そして焦りと同時に、同性への恋心など到底許されるものではないのだ、という観念に囚われていた