26歳の右翼活動家は、なぜ保守系出版社を襲撃したのか

右翼と愛国 若手民族派の思考回路
安田 浩一 プロフィール

民族派としての目覚め

松田は三重県の出身だ。両親はともに自衛官だった。

とはいえ特に保守的な"家風"であったわけではない。両親と政治的な話をしたことも、ほとんどなかった。

小学校6年生の時である。

 

小泉純一郎首相(当時)が北朝鮮を電撃訪問した。

北朝鮮は正式に「拉致事件」を認め、一部の拉致被害者が帰国を果たした。

これが政治や国というものに関心を持つきっかけとなった。

なぜ、もっと早く、国は被害者を救うことができなかったのか。

そうした思いが、松田をナショナルな思考に進ませる。

そのころから、むさぼるように本を読んだ。

『おじいちゃん戦争のこと教えて』(中条高徳著 小学館文庫)で日本の歴史に触れ、さらに小野田寛郎(戦後、フィリピン・ルバング島から日本へ帰還した元日本軍人)の一連の著作で"戦場"を知った。

中学、高校と進む中で、保守派が著した民族主義に関する本にも目を通すようになる。

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「日本人として生まれた意味」

松田の趣味は"一人旅"だ。子どものころから、それは変わらない。

地図を眺めては見知らぬ街を想像し、時間とカネに余裕ができたら高速バスに飛び乗る。

ちなみに子ども時代の夢は、ゼンリンか国土地理院で地図作成に関わる仕事をすることだったという。

高校時代には旅先で知り合った拉致被害者救出運動の関係者に誘われ、一緒に街頭で署名活動に参加したこともあった。

趣味の一人旅は、"運動の現場"や、そこで活動する人々と出会うためにも機能した。

「"日本人"として生まれたことの意味を考えるようになりました」

愛する郷土を守る。皇室と伝統を守る。国に誇りを持つ。そんな人間になりたいと思った。

特定の組織に属したわけではないが、高校生のころの松田は、すでに十分な"右翼少年"となっていた。

大学は国士館大学に進んだ。

理由を問うても松田は「入りやすかったから」としか答えないが、入学後、すぐに学内の民族派サークル「皇国史観研究会」に入ったのだから、当然ながら右派である自分を意識しての進学であろう。

もっとも、いまの国士館大学に"右翼大学"のおもかげは、もはやない。かつてのようなバンカラ学生はほとんどいない。

当然、わかりやすい右派など少数派だ。

松田はその少数派のひとりとして、独自の学生運動を闘った。

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