ハラスメント加害者の心の奥底に潜む「恐れ」の感情を解剖する

早大セクハラ問題に寄せて
千野 帽子 プロフィール

僕自身加害者だったことがある

僕は現実には〈おまえたちの読みは、クズだ〉と言ってないし、そのあと作中で教授が学生に言うような激越な言葉を発していない。

けれど、僕がむかし新入生に向かって、出会い頭の価値否定をやらかしたのは事実だ。たぶん、自分がやられたことを無意識に人にたいしてやってしまったのだ。以後こんにちまで、そのダサい過去を悔いて生きてきた。でも小説にしっかり書かれてしまった。

この教師について、語り手は〈この小説は彼に捧げるべきものだろう〉(169頁)と書き、作者自身あとがきで僕を含む両モデルの〈真剣な教え〉に謝意を表明してくださっている(341頁)。

だけど僕自身はこの場面を読んで、厭というほどわかっていた自分のダサさを、改めてつきつけられた。

作者は作中人物のキャラを立てるためにいろいろ「盛って」はいるにしても、空想のヒントとなった現実は僕の言動にある。これだけダサいことをやっていた過去を持つ僕が、無関係な正義面して渡部教授を審(さば)くことはできない。

僕はこの授業で作文の添削もやったが、その添削自体、一時期非常に冷たくて強圧的な、取りつく島のないコメントを書いていた。なんのことはない、僕自身の学生への対応がパワハラになっていたと言ってもいいのだ。

だからこの文章はそういう「加害者」の反省文のようなものと思って読んでいただきたい。

 

ハラッサーはじつは相手の「自由意志」が怖い

渡部教授は記事のなかで院生(当時)への恋愛感情を認め、

〈教師として不適格かもしれないが、相手が生徒であることをすぐ忘れてしまう〉

と答えたが、「出会い頭のカマし」もまた、相手が教え子であることを忘れてしまうがゆえに起こる。

長いつきあいの、気のおけない関係ならともかく、「出会い頭のカマし」は必ず初対面かそれに近い状態で名刺代わりに来る。ヤンキー漫画のメンチ切り的なアレかもしれない。「ナメられないように一発入れとこう」みたいな。

それともナンパ術をマニュアル化し、カルト的な信者を集めた「恋愛工学」で言うところの「disる」(言葉で相手を貶める)「ネグる」(嘲弄する)ことによって「主導権はこちらにある」と相手に思いこませようとする技術にも似ている。

倉数茂さんが回想したような渡部教授の授業は「disる」「ネグる」ナンパ術の技法で学生に強い印象を与えたといえよう。まさに〈おれの女になれ〉である。

ヤンキー漫画の喧嘩と恋愛工学的なナンパの共通点はじつは「相手が自由意志を持っていることが怖い」ということだ。

僕自身、創作科の客員教授になった最初の2年間ほど、思えばはじめて芸術系の学校に足を踏み入れた緊張のせいで、学生さんたちが怖かったのではないか。

そして厄介なことに、自分が怯えていることの自覚がなかった。自分が恐れていることを認めるのは、さらに怖かったのだろう。