ハラスメント加害者の心の奥底に潜む「恐れ」の感情を解剖する

早大セクハラ問題に寄せて
千野 帽子 プロフィール

出会い頭にカマしてくる人たち

じつは、僕は渡部教授と3回会ったことがある。最初の2回は挨拶程度だったので3回目でほぼ初対面に近く、そこで食事中に、僕も教授にこういう価値否定をカマされた。

またそれより何年も前に、初対面のべつの文芸批評家に食事中半笑いでカマされたことがあるし(「千野さん、そんなの読んでるの?」)、さらにむかし、年若いライターと文芸誌編集者のコンビ(?)にも飲食の席でカマされた(「千野さんがありがたがってるあの作家、私は嫌いですね」)。

自分が好きでないものを好きな人と、飯や酒をおいしくいただくには、相手の「好き」を否定せずにいるだけでじゅうぶんだ。大半のオトナは意識せずともそれをやっている。

けれど、文学やアートの周辺には、「あなたが好きなあれ、僕は全然評価しないけどなあ」ということを言うのが文学とかアートだと思ってカマしてくる人がいる。男だけがしそうなことに見えるが、僕にカマしてきた人のなかには女性もいた。

(photo by iStock)

そういう人は、コミュニケーションというものを相手の価値観を格下げすることだと思っていて、折伏とか洗脳を目的地に設定しているので、食事中であれば飯や酒がマズくなる。

 

文筆家・藤田祥平さんの経験

日本が中国に完敗した今、26歳の私が全てのオッサンに言いたいこと」が当サイトで話題になった藤田祥平さんの、自伝小説『手を伸ばせ、そしてコマンドを入力しろ』(早川書房)に、つぎのような場面があった。

大学の創作科に入学した主人公たち1年生が、授業初日の課題図書であるカフカの『変身』について、教授から発言を求められる。学生たちがひとわたり発言したあとで、教員はこのように言う。

〈おまえたちの読みは、クズだ〉(169頁)

じつは、この教授にはモデルがいる。僕だ。藤田さんは僕が京都造形芸術大学の客員教授になった最初の年の新入生だった。

この教授は〈現実に存在したふたりの人間をモデルにしている〉(185頁)。他のほとんどの場面はもうひとりのモデル(誠実な文学理論研究者である)に依拠したフィクションだけれど、この『変身』の場面にかんしてだけは僕をモデルにしたフィクションなのだ。