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大量殺人の方針は上海で決定…? オウムと中国の「知られざる絆」

中国にもハルマゲドン思想はあった

7月6日に執行されたオウム真理教の元教祖・麻原彰晃(本名、松本智津夫)らの死刑は、中国でも大きく報じられた。かつて、地下鉄サリン事件が世界に与えたインパクトは強烈だ。

現代の中国の地下鉄では手荷物のX線検査が義務付けられ、ペットボトルの液体を目の前で飲まないと検査を通してくれないことすらあるが、こうした過剰警備の一因にもオウムの都市型テロの歴史が影を落としていると思われる。
 

※麻原彰晃(松本智津夫)の処刑を伝える『中国新聞網』の報道

ところで、往年のオウムは世界の多くの国家と関係があった。なかでも有名なのはロシアとの縁だ。オウムはソ連崩壊翌年の1992年9月にモスクワ支部を開設し、同国内で万単位の信者を獲得したほか、自動小銃や軍用ヘリを購入していた。ほか、村井秀夫幹部刺殺事件など複数の事件では北朝鮮との関係も噂されている(もっとも、オウムの対北関係はいまや多くが藪の中だ)。

いっぽう、同じ共産圏の隣国にもかかわらずスルーされがちなのが中国だ。今回の記事では、あえてオウムと中国の関係についてお伝えしたい。先に結論を書けば、オウムと中国の関係は以下のようなものだった。

1.ロシアと違い、オウムと現代中国(中華人民共和国)の関係は基本的に深くない。
2.麻原の空中浮遊術の書籍が中国語訳されたが大規模な信者獲得には至らなかった。
3.オウムが現代中国と疎遠に見えるのは理由がある。
4.オウムによる無差別大量殺人テロと日本国家打倒の方針は中国国内で確定された。
5.伝統中国の宗教反乱や救済思想は、オウムの革命論に一定の影響を与えている。

 

予言、予言、予言

麻原は1989年、空中浮遊術についての著書の中国語版『身体騰空特異功能修持指南秘法(身体が空中を浮遊する特異能力の修行と教授の秘法)』を北京体育学院出版社から初版4万部で刊行し、同書は1991年と1994年に増刷している。

当時の中国は天安門事件(八九六四)前後の混乱期ゆえに社会不安が高まり、気功などの超科学的な能力に関心が集まっていたため、数万人規模の読者の心をつかむことに成功していたわけだ。

だが、民主化運動による動揺があったとはいえ、共産党体制を維持していた中国と、国家が壊れたロシアとでは条件が違った。中国の体制下で日本の宗教団体が布教を推し進めたり、拠点を構えることはやはり困難だったらしく、オウムは1990年代からロシアへの傾斜を深めていくことになる。

『身体騰空特異功能修持指南秘法』とその中身。イラストがなかなか味がある。中国のポータルサイト『騰迅網』に掲載された「短史記」シリーズの記事より。

その後、オウムの現代中国への関心は薄れていく。1994年〜1995年に刊行された教団機関誌『ヴァジラヤーナ・サッチャ』や、麻原の複数の著作を見ても、現代中国への言及は少ない。せいぜい、地下鉄サリン事件発生の約1ヵ月前に刊行された麻原の著書中に、1991年10月26日にオウム真理教名古屋支部でなされた予言が収録されているくらいである。

”一九九三年、あるいはそれから数年後だね、一九九七年とか九八年とか、そこらへんに一つの大きな中国の変革、つまり共産主義の崩壊があるはずである。まあ、実際問題として、この現象はもうすでに現われ出している。”(『日出づる国、災い近し 麻原彰晃、戦慄の予言』(オウム、1995年2月)316ページ)

当然、現実の中国の体制は崩壊しなかった。ちなみに同じページには、「1995年の選挙でアメリカ大統領になる人物が世界をハルマゲドンに導く」とかさまざまな予言が書いてあるが、幸いなことにいずれも当たっていない。

末期のオウムは終末思想を強め、近未来におけるハルマゲドン(最終戦争)の勃発を煽ることで信者をつなぎとめた。『日出づる国』によると、この最終戦争の図式は「日本・中国・アジアの連合国」とアメリカを首班とする西洋文明との衝突がイメージされていたようだ。戦前の石原莞爾の『世界最終戦論』そのままの構図である(事実、オウムの機関誌には同書への言及がある)。

オウムにとっての現代中国は、なんとなく縁が薄く、共産党政権にも抵抗感があるが、ここ一番の局面になれば同じアジアの国家として日本に連帯・協力してくれるという、結構ムシのいいイメージでとらえられている国だった。

※往年のオウムと各国の「交流」。ロシアやチベットだけではなく、ブータンも国王がみずから麻原に接見するなど関係が深かった。(『ヴァジラヤーナ・サッチャ』vol.1より)