まだ小さい子どもにとって、「学び」というのが机に向かってプリントやドリルをやることだと思ったら、それは大きな間違いだ

「あそびってあほみたい」?遊びを奪う保育所・幼稚園の重罪 

危ない保育所・危ない幼稚園を見極める

「あそぶってあほみたい」ではない

かつて、これほど私たち大人たちに衝撃を与えた子どもの言葉があったでしょうか。

“もうパパとママにいわれなくてもしっかりとじぶんからきょうよりもっともっとあしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして ゆるしてください おねがいします

ほんとうにもうおなじことはしません ゆるして きのうぜんぜんできてなかったこと これまでまいにちやってきたことをなおします

これまでどれだけあほみたいにあそんでいたか あそぶってあほみたいなことやめるので もうぜったいぜったいやらないからね ぜったいぜったいやくそくします”

今年3月2日、親の虐待が原因で死亡した5歳の女の子が、両親にあてて書き残したメモの中身です。警視庁捜査一課は、6月6日に女の子の父親(33)と母親(25)を保護責任者遺棄致死の疑いで再逮捕しましたが、その際、女の子が書き残したというこのメモの内容を公表しました。

この悲痛なメモは、女の子が毎朝父親に強いられてひらがなを練習していたノートに書かれていたそうです。女の子は、いったいどんな気持ちでこのメモを書いていたのでしょうか。想像しただけで、胸が締め付けられるように苦しくなります。

さらに、筆者にとって特にショックだったのは「あそぶってあほみたいなことやめる」という一節でした。子どもにとって「遊ぶ」ということは、 決して「あほみたいなこと」などではありません。保育・幼児教育に携わっている者にとっては、子どもの「遊び」こそが「学び」であり、子どもは「遊び」の中から「学び」を得ていく、というのが共通認識だからです。

こう語るジャーナリストの猪熊弘子さんは、長年保育の現場を取材し続け、保育の現状に大きな危機感を感じている。先日は弁護士の寺町東子さんと共著で『子どもがすくすく育つ幼稚園・保育園』を刊行した。その猪熊さんが保護者が園探しを始める夏休みの前に、わが子を守るためにぜひ知っておいてほしいことについて、短期集中連載で「危ない保育所・幼稚園」の見分け方をお伝えする。第一回は、命を失いかねない危険な園についての現実をお伝えした。第二回は上記の事件によりさらに危機感を現実のものとした、「子どもから遊びを奪う保育の恐ろしさ」について。
 

「文字を教えないのは時代遅れ?」

少し前のことですが、ある人気保育士がブログに「保育園で子どもに文字を教えないのは時代遅れ」と書いて炎上したことがありました。

幼稚園で学ぶべきことについて記されている「幼稚園教育要領」にも、保育園での「保育所保育指針」、認定こども園での「幼保連携型認定こども園教育・保育要領」にも、「保育者が文字を教える」などとはどこにも書かれていません。そこで保育者などから「なぜ資格を持っている保育士がそんなことを言うのか?」という批判が上がりブログは炎上したのです(そのエントリーはすでに削除されています)。

国が定めた3つの「要領」「指針」の中には、子どもは「遊び」の中から学ぶものであり、「遊び」がとても大切であるということが明記されています。「遊び」をおろそかにすることは、「学び」をおろそかにすることなのです。

数量、図形、文字などといった、小学生以上の「勉強」につながっていく分野についても、"遊びや生活の中で、数量や図形、標識や文字などに親しむ体験を重ねたり、標識や文字の役割に気付いたりし、自らの必要感に基づきこれらを活用し、興味や関心、感覚をもつようになる”ということがひとつの目標になっており、文字を覚えるように繰り返し練習させたり、ましてやドリルなどを使って覚えさせたり、ということは勧められていません

そのことを熟知している保育者たちはみな、子どもたちが豊かな「遊び」の機会を得られるよう、日々心を砕いて保育にあたっているのです。

私自身、通算15年間にわたり、4人の子どもたちを保育園に通わせている間に、子どもたちが遊びの中から自然に文字を覚える姿を目にしてきました。たとえば、次女が年少児クラスで3歳だったある日のこと、夕方、保育園にお迎えに行くと次女はお友だちと一緒に「カルタ遊び」をしていました。当時、次女はまだ文字を読めないと思っていたので、「字が読めなくても、カルタ遊びはできるんですね」と先生に言うと、「おかあさん、彼女はもう字を読めますよ?」と言われ、驚いたこともありました。

ほかにも、保育園で何度も読み聞かせてもらった絵本をそらんじるうちに、いつの間にか字を覚えてしまったり、覚えたての字を書いてみたいという願いがお友だち同士のお手紙ごっこに発展したり、文字を教え込むことなどしなくても子どもは自然に興味を持ち、遊びの中から学んでいく姿をたくさんみてきました。

だからこそ、冒頭で書いた事件で、この父親が女の子に対する自らの虐待を正当化するために「遊び」を禁じ、「あほみたいなこと」と断じ、子どもにとっては楽しくもないひらがなの練習をさせることが「学び」だという大きな誤解に基づいて苦しみを与え、ついには女の子を殺してしまったことに怒りを禁じ得ません。子どもに最も大切な「遊び」を否定されて虐待の理由にされたことは保育・幼児教育の敗北のようにさえ思えてしまいます。本当に悔しくてなりません。

同時に、この父親のように幼児教育を知らない人ではなく、保育所保育指針を読んでいるはずのプロの保育士が「文字を教えないのは時代遅れ」と言い切ってしまうことに恐怖を感じます。