有名企業の社長たち、いまだから話せる「僕らの『就活』の履歴書」

ANA、日本生命、三井住友、ニトリ…
週刊現代 プロフィール

合否の電報は居酒屋で待った

「僕は鉄腕アトムが大好きな少年でした。本当は車やロボットの設計がやりたかったんです」

こう話すのは、あいおいニッセイ同和損害保険の金杉恭三社長だ。金杉氏はもともと、トヨタやホンダなど、日本を代表するような機械メーカーで働くことを夢見ていた。

「私には軽い色覚の障害がありました。理系で研究するのは難しいと思い、大学では統計を勉強することにしたんです。

すると、今度は統計学に魅力を感じるようになった。就活では金融機関を受験しようかと思い、日興證券や山一證券を受験しました」

 

金杉氏が就活をしていた'78年は、第一次オイルショックを乗り越えた「売り手市場」の時代。受験した証券会社からは、すぐに内定が貰えたという。

「そんな時、父が知人の伝手もあって『大東京火災海上保険(あいおいニッセイ同和損保の前身)は受けなくていいのか』と言ってきたんです。

僕は成績があまりよくなかったため損保の受験は避けていたのですが、父によれば、大東京火災海上は成績に関係なく、根性と気合があれば受かる、とのことでした。そこで、父の言葉を信じて、受験してみたんです」

当時は、「優が10個しかないなんて、何のために大学へ行っていたのですか?」というような厳しい質問をぶつける「圧迫面接」を行い、その反応を見て評価をつける企業が一般的だった。そんな中、大東京火災海上は自分の考え方や目標を丁寧に質問してきたという。

「当時は選考に通過すると、電報で連絡が来ていました。面接で同じグループになった連中と居酒屋で結果を待って、電報が来たら家族に居酒屋まで連絡してもらっていました。

一人ずつ連絡が来てホッとしたり、落ちたヤツがヤケ酒したり……。おそらく今の就活にはない、いい思い出ですね」

もともと働きたかった機械メーカー系や、証券会社での就職は実現しなかった。それでも、現在の仕事に就くことは、金杉氏にとって「必然」のことだったという。

「保険という形ではありますが、回り回って好きな自動車に携わる仕事ができたのは良かったと思っています。

さらに、自分の意見を反映してどんどん仕事にできる社風で、成長することもできた。気まぐれで受けた会社ではありましたが、結果的に一番自分に合っていたんじゃないでしょうか」