有名企業の社長たち、いまだから話せる「僕らの『就活』の履歴書」

ANA、日本生命、三井住友、ニトリ…
週刊現代 プロフィール

「可とり線香」と呼ばれ、教授の推薦も貰えなかった

ニトリの白井俊之社長の就職活動は、故郷の札幌に戻ろうという考えから始まった。

「私の親は当時北海道で商売をしていたので、漠然とその仕事を継ぐのかなと思っていました」

白井氏は宇都宮大学の工学部環境化学科の出身。学生時代は勉強があまり得意ではなく、「可とり線香」というあだ名がつくほどだった。

白井氏が就職活動をした'70年代末は、理系の学生は所属する研究室の教授が企業に推薦状を送り、その枠で就職するのが慣例だった。しかし、白井氏は教授にも相談しておらず、その推薦も貰うことができなかったという。

「私は就職活動に身が入らず、研究室の同期が就活をしていても、一人でのんびりとしていました。

そんな中、たまたま求人誌で見かけたのがニトリでした。当時はまだ年商約20億円で、札幌市内で7店舗ほどの企業でした。名前は知らないけど、とりあえず説明会に行こうと思ったんです」

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東京の品川にあるホテルで開催された説明会。説明を聞き終わると、いきなり適性検査が始まり、その後に社長と面接が始まる。そこで社長から、会った瞬間に「内定!」と言われたのだという。

「実はその前に、もう一つだけ別の貿易会社の説明会に出席したことがありました。でも、興味が持てず途中で退席したのを覚えています。

一方、当時のニトリには『勢い』を感じた。まだまだ計画性があるようには思えなかったけど、社長の言葉からは熱意が伝わってきた。この会社なら自分も一緒に成長できると感じたんです」

だが、周りの友人たちの反応は微妙だった。「ニトリ家具に入ることになった」と言うと、「ニトロ化学?何それ?」と言い返された。

さらに、最初に配属されたのが商品を保管する倉庫だったことで、名刺には「倉庫係」の肩書が刻まれることになった。当時は、友人との名刺交換が恥ずかしくてたまらなかったという。

 

それでも、白井氏は「畑違い」の会社に入社したことを誇りに思っている。

「理系の学生だと、学習した『分野』で就職先を決めようとしがちです。でも、重要なのは内容よりも、『学び方』のほうにあると思います。

理系の実験では、仮説を立て、検証するためにデータを集める。この思考のプロセスは、ニトリに入って数的データを扱う仕事をするうえで、大いに役に立っています」

「妙な企業に就職した」と白い目で見られてから40年、ニトリは日本有数の企業となった。白井氏の友人たちこそ、「人生、何があるか分からない」と思っているだろう。