有名企業の社長たち、いまだから話せる「僕らの『就活』の履歴書」

ANA、日本生命、三井住友、ニトリ…
週刊現代 プロフィール

院試に落ちてやむをえず

鮨や鰻と言えば、バブル期の就職活動だ。「超売り手市場」だっただけに、学生が複数の内定を取るのは当たり前。メガネスーパーの星﨑尚彦社長(51歳)は、7社の面接を受け、すべて合格した。

「丸の内で、まず第一勧業銀行の面接。その隣にあった東海銀行も受け、さらに裏側にあった東京海上も受けました。後は日本生命、NTTデータ、日商岩井、三井物産。会社名だけは間違えないように気をつけて面接に臨みました」

結果的に三井物産に入社した。同じ'89年入社組のライフコーポレーション・岩崎高治氏(52歳)は1社のみの受験だった。岩崎氏が言う。

「三井物産や伊藤忠商事、住友商事の方ともお話ししました。ただ大学でバスケをやっていた縁で、新浪剛史さんら三菱商事のバスケ部の方たちから誘っていただき、同社だけ受験し、入社しました」

 

ローソン・竹増貞信社長(48歳)も三菱商事出身。

「トップ企業の大きな仕事に憧れ、ナンバーワン企業を中心に回りました」

こう語る竹増氏の就職活動は、バブル崩壊後の'92年春だが、買い手市場の状態は変わらなかった。

「三菱商事から『就職活動終わっていいよ』という言葉で内定の連絡が来て、入社を決めました。しかし、他社に辞退の挨拶に行くと、『お前がそんなことをすると困るんだ』と責められ、帰してくれない。

某大手鉄鋼メーカーの方だけは『三菱商事か?いい会社だぞ。また世界のどこかで一緒に仕事をしよう』と言われ、握手をして別れました。感激して、こっちの会社もよかったかな、と思いましたが……」(同)

Photo by GettyImages ローソン竹増貞信社長

あえてナンバーワンを狙うことをしなかったのは、小野薬品工業・相良暁社長(59歳)だ。

世界に先駆けたがん治療薬「オプジーボ」で飛躍的に会社を成長させた本人は、「プロスタグランジン(PG)の将来性に魅力を感じたため、小野薬品に進みました」と言う。同社は、PGによって画期的な新薬開発を続け、オプジーボにつながった。

そもそも、就職するつもりがなかった人もいる。

日本生命・清水博社長(57歳)は、理学部の数学科を卒業した後は、大学院に進学し、数学の研究を続けるつもりだった。

「ところが、大学院入試に落ちてしまい、やむをえず就職することにしたのです。だから就職活動のスケジュールというのもあまり知らなかった。

『アクチュアリー』(保険数理士)という仕事があることを知り、9月中旬になって、日本生命の面接を受けました。ギリギリのタイミングだったようで、縁を感じましたね」

人生、どこで何が起きるかわからない。どの会社で働くかより、そこで何を成すか。社長たちの言葉は、サラリーマンの生き方を教えてくれる。

続いて、ユニークな経緯で入社後、現在の地位に上り詰めた社長たちの告白を聞いていこう。