有名企業の社長たち、いまだから話せる「僕らの『就活』の履歴書」

ANA、日本生命、三井住友、ニトリ…
週刊現代 プロフィール

「君はボーダーライン」

西武ホールディングス・後藤高志社長(69歳)が新卒時に受験したのは、第一勧業銀行(現・みずほ銀行)1社だけだった。

「メーカーや商社を考えていたんですが、第一銀行と日本勧業銀行が合併して、日本最大の銀行ができるという記事を見つけ、『新しいところも面白いじゃないか』と決めた」

就職の決め手が「新規事業」だったのが、キリンホールディングスの磯崎功典社長(64歳)。

「入社した'77年は、キリンはビール市場で圧倒的なシェアがありましたが、その一方で清涼飲料や食品などの新規事業展開にも舵を切りつつあった。

キリンほどの力がある会社が多角化に挑むなら、力を発揮できる新しい分野があるのではないかと思い、入社を決めました」

Photo by GettyImages キリンホールディングス磯崎功典社長

一方、ライバルのサッポロビール・髙島英也社長(58歳)は、「ビール会社であれば『タダでビールが飲めるかも』と勝手に妄想していた」ことが、同社を選んだ理由のひとつだと正直に明かす。

「教授に『体力だけは自信があります』と言って、推薦状を書いていただいたのですが、酒類製造に関わる基本技術について口頭試問を受け、まったく答えられなかった」

だが名経営者として知られた当時の社長・河合滉二氏の風貌から、自由闊達な社風を感じていた。

「合格したはいいものの、製造部の幹部から『君の学科試験の結果はボーダーライン。うちに体育会系技術者は不要なので、勉強してほしい』と言われる始末でした」(同)

 

それが将来の社長なのだから面白い。理系の場合、大学の研究室推薦で就職が決まるケースも多いが、東レ・日覺昭廣社長(69歳)は、東大大学院に在籍していた。

「新日鐵のようなメーカー、7~8社に寿司屋とか食事に連れていってもらいましたよね。機械屋が科学屋と一緒になって活躍できる場所ということで、東レに決めました」

人事や先輩リクルーターの「ご馳走」がきっかけになった社長は、他にもいる。野村ホールディングス・永井浩二社長(59歳)は、テレビ局やアパレルも受験していたが、野村證券の内定と同時に、他社の選考は辞退した。

「厳しいイメージがあり、志望していなかったんですが、野村に入った大学の先輩に鰻をご馳走してもらい、話を聞くうちに関心が高まりましてね」