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有名企業の社長たち、いまだから話せる「僕らの『就活』の履歴書」

ANA、日本生命、三井住友、ニトリ…

22歳で、すべてを予測することは不可能だろう。ではトップに立った人物たちは、学生のとき何が見えていたのか?社長たちの「就活時代」を総力取材!

「運命とは本当にわからない」

40年前の'78年秋、大学4年生だったANAホールディングス・片野坂真哉社長(63歳)の就職活動の結果は「4勝4敗」。

合格したのはトーメン、大正海上(現・三井住友海上)、TBS、全日本空輸。不合格が東京海上火災(現・東京海上日動)、NHK、東京ガス、そして日本航空――。

片野坂氏は、当時ナンバーワンだったJALに落ちて、ANAに入社した。

「当時、全日空は国内線のみで、国際線は日本航空が独占していた時代です。(全日空の)採用案内には『国際チャーター便で東洋の巨人』という見出しが躍り、新鮮に映ったのです。

(日航は)不合格になりましたが、5年後に全日空も国際線事業(定期便)に進出することになり、自分が担当するとは夢想だにしていませんでした」(片野坂氏)

'78年当時、就職活動は4月に面接がスタートし、各社一斉に行われる選考試験は意思確認中心で、事実上の「内定式」となることが多かった。

「全日空の採用人数は60名程度といわれていたのに、10月1日に会場に出かけてみると、100名近くの学生がいる。まだふるいにかけるのか?と騒然となりました。

採用担当者が『大丈夫です。全員合格ですから、安心して』と答えていたのがおかしかったですね」(同)

Photo by GettyImages ANAホールディングス・片野坂真哉社長

一方、片野坂氏が入れなかった日本航空の赤坂祐二社長(56歳)は、「学校推薦で、日本航空のみを受験しました」と言う。

「大学で航空工学を専攻しており、知識や技術を活かせると考えました。スーツを着ないで面接に行ってしまったことを覚えています。いけないと思いましたが……」

今年も大学4年生('19年入社)の就職活動は一段落したが、いまだ活動中の学生、また意中の会社に入れなくて落ち込んでいる学生もいるだろう。その一方で3年生は、'20年入社に向け、インターンシップなどへのエントリーに必死だ。

だが、採用する企業のトップにも、「就活時代」があった。迷いもあったし、うまく決まらない焦りを抱えた人もいる。サラリーマン人生の頂点に立った一流企業社長20人に「私が入りたかった会社」をテーマに、自身の就活を語ってもらった。

「別の会社に進んでいたら、どうなっていたか」という質問に、前出の片野坂氏はこう答える。

「合格したTBSの役員面接で、『何をしたいか?』と問われ、『ディレクターになって、(当時テレビに出なかった)矢沢永吉をテレビに登場させたい』と答えたら、『面白い!』と大いに盛り上がりました。バラエティ番組の担当として生きていたかもしれません」

一方、日本航空の赤坂氏は技術畑らしい回答だ。

「もう少し遅く生まれていれば、超音速機の開発に関われていたかも、と思うことがあります」

 

三井住友フィナンシャルグループの國部毅社長(64歳)が回想する。

「住友銀行は訪問先に入っていなかったのですが、活動中に、ふと看板が目に入り、時間が空いていたので、アポなしで立ち寄ったのです。

大変に魅力のある方々で、また非常に自由な雰囲気で、楽しそうに仕事をしている様子が伝わってきたので、住友銀行に決めました」

看板が目に入らなければ、他の銀行で働いていたかもしれない。京王プラザホテル・山本護社長(61歳)は、メーカー、商社、鉄道など幅広く回った。

「ある企業の面接を終え、日本橋の交差点で、友人と偶然出くわしたんです。その企業の話をすると、彼は関心を持ち『自分も行ってみよう』と言った。結局、私ではなく友人が入社しました。運命とはわからないものです」