吉岡里帆主演ドラマ『健康で文化的な最低限度の生活』原作者に聞く

生活保護をマンガで描くということ
大西 連 プロフィール

震災で立ち止まった

そんななか、2011年に東日本大震災が起きました。私だけでなく多くの漫画家が「震災をどう捉えるか」を考えるようになりました。

その時期、違う連載を準備していて、原稿も数十ページは描いていたんですが、ある事情で一旦ストップしたんです。それで、ちょうど時間が空いたこともあり、自分がこれから何を描くかをすごく考えるようになりました。

また、年齢を重ねるにつれて、単行本が売れなくなってきたこともあり、何か違うことをしないといけない、と焦っていました。

いろいろなタイミングが自分のなかで重なったのだと思います。

もっと社会に向き合っていく必要があるのではないか、と。自分の周囲のこと、報道されるニュース、世の中の動き……自分があまり社会を見ていなかったことに気がついたんです。

 

見えていなかった問題

――そういうなかで「貧困問題」に出会った?

そうですね。いろいろなテーマについて調べたり考えたりしていました。自分なりに社会を把握していくなかで、「貧困問題」について知りました。

正直、バブルの頃はそこまで貧困が深刻ではなかったと思っていたし、そう言われていました。

でも、ふりかえれば「ホームレスの人」は大きな駅や公園にたしかにいた。貧困はなかったのではなく、見ていなかったんですね。

漫画家って、努力した人がデビューできて、していないと世に出られないものです。デビューできた人は「自分は頑張ってきた」という気持ちがある。私もそうです。ある意味、自己責任論的というか。

アシスタントに対しても、成功できない=努力が足りないと思っていたし、言ってきました。

でも、世の中すべてをその価値観でとらえていては、世の中を見誤るのではないかとなんとなく感じるようになったんです。

派遣村の報道や、DVとか虐待などの家族のこと、発達障害の存在など、知らなかったことを目にしていくなかで、それまでは努力すれば成功できると思っていたのが、必ずしもそうではないのではないか、と。

自分自身の生き方についても「これでいいのか」と考えることが増えてきました。これまでは描きたいマンガを描くために徹夜したり突っ走ってきたりしてきたが、それではダメだと強く思うようになったんです。

親の悪口を言う人に対しても「いやもう大人だし、そろそろ親孝行考える年でしょ」くらいに思ってました。

でも、たとえば、DVや虐待の問題を学んで、知って、振り返れば、間違っていたかもなと。もしかしたら、よく知りもしないで人を傷つけるようなことを言っていたかもしれない。