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「ゲイがいてもいいけど、好かれたらキモい」発言にキレた話

理解できないものをそっとしておく勇気
小野 美由紀 プロフィール

誰かに持たされた偏見ではないか

窓際にぐるりと設置された「ぼっち席」では、一人が好きそうな偏屈そうな教員や、学校を訪れたお客さん、生徒数名が、静かに、窓の外の景色を眺めながら、心地よい距離感でめいめいに食事を取る風景が見られた。

異質なものは「受け入れ」なくていい。ただ共存する方法は考えたほうがいい。

そもそも異質なものに対する嫌悪感、それを感じているのは本当に自分の感覚なのだろうか。

誰かに持たされた偏見ではないか。

 

それを吟味した上で、それでも理解できなそうだと思ったら距離を取ること。あなたも私も孤立したくないという意味では、同じ存在であると知ること。

多様性をめぐる議論は今、過渡期にあり、いろいろな立場のいろいろな人間とこの先、ぶつかる機会だってあろう。

その時、その場においては「マイノリティ」を自負する自分たちこそが、実は異質な相手を認めずに押しつぶす「多数派」の一員になってはいないか。

〔PHOTO〕iStock

異質な人間が増えることは、決して孤立とイコールではない。

あなたと私は違うし、苦手ではあるけれど、互いがこの世界に、この共同体に存在することを認め、そうっとしておく勇気を持つこと。

一方で、いつかある部分では理解できるかもしれない、できないかもしれない、という一縷の可能性に向けて、心の窓の一つを開け放しておくこと、そこから吹き込む新しい風と、明るい日差しを感じること、それはこれまでの昭和的な社会で求められていた知性と忍耐と勇気とは、また別の毛色、別の手触り、別の温度を持つものであり、「大多数であること」なんかよりもよほど強度のある「在り方」であるし、今現在この国のトップが掲げている「強さ」とも、また別のものである気もする。