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「ゲイがいてもいいけど、好かれたらキモい」発言にキレた話

理解できないものをそっとしておく勇気
小野 美由紀 プロフィール

そうっとしておく勇気

話はそれるが、つい先日、母校の高校を訪ねた。通っていた14年前とは何もかもが大きく変わっていたが、一番びっくりしたことは、学生食堂に「ぼっち席」が設けられていたことだ。

スタバやドトールなんかであるでしょ? 窓際にぐるりと巡らされた一人用のカウンター席。あれがね、食堂にもあったの。

聞くところによると、あるぼっちの生徒の「ぼっちだって、食堂を使う権利がある。みんな仲良く、なんて糞食らえだ。お昼の時間だけ、孤立を恐れて、対して仲良くない人間と気まずさを感じながら味のしないご飯を食べるくらいなら、一人でゆっくりと自分のペースでご飯を食べる空間が欲しい」という要望から始まったらしい。

それを聞いて、私はとっても嬉しくなってしまった。

仲間でなくても、分かり合えなくても、そっとしておく勇気、それを子供たちこそが大人よりも先んじて、実践してんじゃん、って。

 

中高の頃、一緒にお昼ご飯を食べる相手のいない私にとって、お昼休みは地獄だった。

食堂では野球部やサッカー部やラグビー部など、数が多くて声の大きな男の集団が幅を効かせていて、一人の人間は肩身が狭かった。

たまにお弁当を忘れて食堂で食べなければいけない時などは、できるだけ目立たない席を確保するのに必死で、彼らから通りすがりに揶揄されたり、じろじろ見られたりするたびに恥ずかしさと腹立たしさで爆発しそうになりながら急いで牛丼を掻きこむ以外に術はなかった。

同じように、フロアの片隅にはぼっちの子たちが肩を狭めてうどんをすする姿がぽつぽつと見られたが、「ぼっち」だからと言って別に仲良くなれるわけではない。同類がいたところで、大多数に混じれない惨めさが消えるわけではない。

別の海域から来た回遊魚を眺めるような気持ちで彼らを眺め、なんなら「あんな風にはなりたくない」とさえ思っていた。自分だって、全くおんなじくせして。

多数派に相容れない人間、集団からはみ出す人間、一人を好む人間を、そうっとしておいてほしい。

望むのは、無理に仲間を作らされたり、矯正されたり、物珍しそうに根掘り葉掘り聞かれることではない。トレンドにされることでもない。

ただ、「そうである」というだけで、どうのこうの、野次馬から何かを言われない――突然「存在するのは勝手だけど、惚れられたら気持ち悪い」だなんて、いきなり角ブロックで後ろから殴られるような真似を、日常生活の中でされなくて済むこと。

それだけだ。

自分とは異質な人間、話し合っても根幹のところで理解できない人間を、それはそれとして、そうっとしておく勇気が、今の世の中においては必要なのだと思う。

それは品性の問題であり、知性の問題でもある。