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「ゲイがいてもいいけど、好かれたらキモい」発言にキレた話

理解できないものをそっとしておく勇気
小野 美由紀 プロフィール

「少数派になりたくない」という恐怖

ちょっと前に、ネットの記事で「LGBTが気持ち悪い人の本音 『ポリコレ棒で葬られるの怖い』」と題されたインタビュー記事が炎上した。

その記事では「ポリティカルコレクトネス(政治的な正しさ)で人の発言や感性を断罪する風潮が息苦しい」と30代のヘテロセクシャル男性が語っていた。「本能的に気持ち悪い、と思ってはなぜいけないのか。この感覚を許容してほしい」。

その記事には多くの批判が寄せられていて、それは単に彼の発言に対してだけではなく、この記事を書いた記者に対し「彼のような存在がなぜ生まれたのか、その背景や社会構造などを解き明かさないまま、ただ彼の意見をそのまま載せただけで稚拙なジャーナリズムである」という批判が半数を占めていた。

そりゃそうだなあ、と思う一方、記者の力不足だ、と批判している人たち――基本的にはLGBTs擁護派の人々である――は、最初から「多様性は認められてしかるべき」という信じ込みに拠って立ってるな、って感じもして違和感を覚える。

「この男性がこのような差別発言をしてしまうのは、背景に間違った社会構造があるからだ」と無邪気に信じているようだが、彼がセクシャルマイノリティに嫌悪感を覚える理由など、彼自身にも、ほかの誰にもわかりようがない。

構造が正しくなれば、誰も自分たちの「アンチ」ではなくなるという考え方こそ、場合によっては個を押しつぶす全体主義になりうる。

〔PHOTO〕iStock

多分、みんな怖いのだ。ひとりぼっちで孤立するのが。

少数派を叩くのは、自分たちが少数派になりたくない、という恐怖の裏返しである。

だからこそ冒頭のおじさんのように「俺たち多数派だよな」と言う子供っぽい目配せを、大勢の場で仲間のように見える人々に向かって送ってしまう。

 

逆に多様性を認めろ、と言う人は、これまで多数派の意見が通りやすい社会状況だったことで、自分の主張、存在自体がかき消されてしまう恐怖を味わってきたから、それがようやく認められるようになりつつあるいま、元の状況に戻りたくない、せっかく得られ始めた社会との一体感を失いたくない。

だから、自分たちを気持ち悪い、と言う人間を見つけると、身の危険を感じて一斉に叩く、それが「ポリコレ棒」である。

マジョリティ男性のゲイに対する嫌悪感も、多様性推進派の人々が反対派を「自分たちの側に」矯正したいという気持ちも、残念ながら根っこは同じ、どちらも自分たちとは異質な存在を許容するには至れていない。