席亭・平野悠がいま明かす「新宿ロフト・誕生秘話」

後編・それでも人生は続く
細田 昌志 プロフィール

再び起業、でも苦戦

──なるほど、まあ新宿ロフトも残していたわけだし。

平野 そうだね、でも音楽には全然興味なくなってた。「ロック?」「は?」って感じ。ライブハウスをもう一度やろうっていうモチベーションはないんだ。それで何をするかなと考えてたところで、ふと「トークライブだ」と。

──そこなんですよ。どういう発想からそこに行きついたんですか?

平野 まあ基本はシンプルで、「自分の会いたい人に会う」ってことだよね。それで「聞きたい話を聞こう」って。でも、そのためにはやっぱり空間なんだよな。店でいいわけ。例えばだよ、俺が面識のないどこかの著名人に「すみません、あなたの話を聞きたいです。会ってもらえませんか」って言っても会うわけない。でも「こういう空間があるんで話してやってもらえませんか」って言えば「じゃあ、いいか」ってなる。

──確かにそうですね。

平野 やっぱり空間なんだよな。それで95年7月にオープンしたのが、新宿ロフトプロスワン。最初、富久町に作ってね。毎晩自分が出ていって、前説みたいなのを喋ってたんだ。

 

──もちろん憶えてます。懐かしいですね。あれには何か意味があったんですか?

平野 一応『エド・サリバンショー』みたいなことをやろうと思ったの。でもね、毎晩やると辛い辛い(笑)。それにイリオモテヤマネコの専門家とか呼んだりして、なかなか興味深い話を聞いたんだけど、これがまあ、客が来ねえ来ねえ(笑)。「江戸祭り伝承ナイト」なんて面白い話なんだけど大赤字。「虎屋のようかんトークショー」なんて客ゼロ(笑)。

──ぶははは!知り合いも来ない(笑)。

平野 友達くらい呼んどけよって(苦笑)。でも、それがぼちぼち来るようになったわけ。きっかけは「奥崎謙三出所記念ライブ」かな。あれでちょっと有名になった。その後に人食いの佐川一政とか呼ぶようになって……あと鈴木邦男だな、やっぱり。鈴木さんには感謝してる。

──でも、そこから歌舞伎町に移転して、完全にダーッと上がっていった感じがありましたね。「一日店長は嫌な客を実力で追い出せる」っていうコンセプトがいいですよ。

平野 素晴らしいでしょ(笑)。だからこういったシステムは絶対真似されないって思ったんだけど、今、日本中に100軒あるんだってね。だってこのたび、大阪で吉本までがトークライブハウス作ったって。