席亭・平野悠がいま明かす「新宿ロフト・誕生秘話」

後編・それでも人生は続く
細田 昌志 プロフィール

「一国を操るなんてそんな難しい話じゃない」

平野 ともかく貴重な経験をしたね。それが37歳のときかな。どうにかサハラを越えて、ボロボロになりながらアフリカを超えてマルセイユに到着したわけ。しばらくマルセイユに滞在するんだけど「さて、どうするか」と。というのもね、まだ日本には帰りたくないんだな。

──懲りないですねえ(笑)。

平野 それで、どこかで腰を落ち着けて働いて、最終的にはそこで死んじゃおうと思ったのよ。それで、「今まで行った国の中で、一番素敵だったのはどこか?」って考えたときに、一応いくつかテーマを設定してみたの。「日本から一番遠い」「日本人が少ない」「言葉が全然わからない」「海が綺麗」そして「音楽がいい」そのすべてに当てはまったのが、ドミニカ共和国。

──おー、カリブ海ですね!

平野 テーマにすべてに該当するんだよね。カリブは本当に綺麗な海だよ。音楽もいいんだ。メレンゲとかカリプソとか素晴らしい。日本人も少ないから気ままだし、言葉もよくわからなくて、それがまたいい(笑)。そこで「よし、ここに日本レストランを作ろう」って思ったんだ。

──おおー。日本食ですか?

平野 そう。決して美味くない寿司屋なんだけど(笑)。

──最悪ですね(笑)。

 

平野 まあこの際なんだっていいんだ。というのもドミニカって不思議な国でね。選挙で政権が変わっちゃう国なのね。当時の中南米ってほとんどが独裁国家なのに。

──ああ、なるほど。

平野 それでドミニカで初めての寿司天ぷらの日本レストランを作った。そういう空間を持っていると、日本に興味のある人が集まってくるんだ。それで当時は「ジャパン アズ ナンバーワン」とか呼ばれた時代だったでしょ。時はバブル。となると、日本に興味のあるやつは全員、ウチの店に寿司食いに来る。そしたら、いろんなコネクションができるんだよ。

──ドミニカにおける日本代表になったわけですね(笑)。

平野 ちょっとオーバーだけど「カリブと日本をつなぐ第一人者になる」っていう目標だったから、ドミニカの外務大臣やアメリカ大使とかは寿司を食べに店に来てくれる。「セニョール ドン ヒラノ」と、こうだよ(笑)

──ぶははは!

平野 それで俺は外務大臣に言ったわけ。「今度、花の万博っていうのが大阪である。それのドミニカのパビリオンを俺にやらせてくれ」って。そしたら、そういうノウハウもない国だから、あれよあれよとその権利が手に入ったの。テクノクラート(官僚)のいない国だからかな。それでやったのがドミニカ館の館長(笑)。

──日本人なのに!(笑)

平野 俺の爺さんがアメリカ人だからさ、俺もちょっとガイジンの顔してんじゃん(笑)。なんとか騙せるなって思ってさ。でもさ、一国のパビリオンの館長っていったら、アメリカもイギリスもドミニカも同じだからね。だから外務省がちゃんと迎えに来るんだから。

──凄いですねえ。本当に国を動かしたんですね。じゃあ、この後はドミニカを牛耳るだけですよね。

平野 それがねえ、一緒に連れて来てた板前が自殺しちゃって、「うわあ」と。どうしたもんかと……そういうこともあった上に石油ショックが2回続いたりとかもあり、店の経営がうまくいかなくなったのね。挙句に俺らが応援していた大統領が落選して、程なくして新大統領にいじめられたりして、いろんなことが一気に起きたの。「もうドミニカ飽きた!日本に帰ろう!」と。一時ペルーに行ったりもしたけど帰国を決意したんだ。1992年の話だよ。