席亭・平野悠がいま明かす「新宿ロフト・誕生秘話」

後編・それでも人生は続く

日本のライブハウスの始祖といっても過言ではない、ロフト席亭の平野悠氏。前回は烏山にロフトの「第一号店」を出店し、新宿ロフトを開くまで……を明かした。後編では、有名ミュージシャンらとの親交を経て、世界を放浪し、歌舞伎町に「新宿ロックカフェロフト」を開くに至るまで、席亭のすべてが語られる―-。

(前編<「ライブハウスを創った男」ロフト席亭・平野悠の長い回想>はこちら https://gendai.ismedia.jp/articles/-/56487

BOØWYとの出会い

──BOØWYとは、やっぱり彼らが新宿ロフトのスケジュールにラインナップされたことが出会いですか?

平野 そうだね。最初に長戸大幸氏(音楽プロデューサー。ビーイング創業者。現エフエム滋賀相談役)が連れて来たんだ。「平野さんに預けたいバンドがいる。群馬の暴走族だ」って。それが「暴威」だった。一目見て、悪そうだけど、なんか音楽的にはよさそうだなあとは思ったの。プロデューサーは月光氏(=月光恵亮。ビーイング創業メンバー。LOUDNESS 、BOØWY、氷室京介などを手掛けた)だしさ。

──本気度が伝わってきますね。BOØWYが新宿ロフトに初めて登場したのが1981年5月です。このとき長戸さんも月光さんもLOUDNESSを手掛けたり、エマニエル坊やを仕掛けたりと飛びまくってた時代ですもんね。

平野 だからこっちも真剣に取り組もうってなるじゃん。ファーストアルバム(『MORAL』)をどう展開させていくかとか、ロフトのブッキングでやれることは何かとか、会議も出ていろいろ提案したり、レコーディングにも加わって、可能な限りビジネス展開させていこうと思ってたの。この頃にはロフトグループの力もそれなりにあったしね。

 

──彼らもそれを欲していたからこそ、平野さんに依頼したんでしょうしね。

平野 とにかく破天荒な連中だったから手を焼いたのは確か。でも、いいバンドなんだよ。いい音楽をやっている。これを埋もれさせるわけにはいかない。そう思ってやるわけじゃん。長戸氏との仁義だってあるし。そしたらだよ、ある日BOØWYはビーイングをクビになってしまうわけ。

──そこなんですよ。僕も前から知りたかったんですが、それはどういう理由でだったんですか?

平野 う……言えない(笑)。

──では30年後にお願いします。そしたら平野さん、100だけど(笑)。

平野 もう死んでるな。それか100のじじいならいいかって許してもらえるかも(笑)。

──気になりますね。それからも平野さんは、手を引かずにバックアップしていたんですね。

平野 やってたよ。なんとか2枚目のアルバム出そうと思って、レコード会社回ったりしたんだもん。それなのにある日「解散する」って言い出してさ。なんだなんだってなるじゃん。それもまた、つまんない理由なんだ。もう馬鹿負けしちゃってさあ。なんなんだお前らと。

結局やつらはそのときは解散しなかったんだけど、つくづく嫌になってさ。「あー、もう、やだやだ! お前らには興味がない!やめたー!」って完全にBOØWYから手を引いたの。そしたら、その後で売れちゃってさあ(笑)。

──ぶははは!