「AIは人間を超える」なんて、本気で信じているんですか?

哲学の視点から語る「科学の限界」
西垣 通, 千葉 雅也

ところが、カントを前提にすると、そんなことは言えない。じゃあそうなったときに、「客観的な科学」というのものは近代以後は不可能になってしまったのか、という疑問が出てくる。

メイヤスーはそれをちゃんと考えて、言ってみれば「一周回ってまた素朴実在論をやる」というか、改めて素朴実在論的とも言えるような、単に「モノそのもの」について記述するような自然科学を、どうすれば正当化できるかということを考えるんですよ。

AIの「責任」や「主体性」とは?

西垣:ほとんどの科学者や科学技術者がそうしたカント的なことを考えないのは、それで事実上は問題が起きないからです。例えば天文学とか、多くの物理的な現象の分析については、「人間が考えられる範囲がどうのこうの…」と考えなくても、通常の手続きを踏めばほとんど問題はない。

千葉:実際、実用に耐えるものができるわけですね。

西垣:天体がこういう軌道を描くだろう、といったことを予測するのは、素朴実在論に基づいて考えても、ちゃんと当たるわけです。

 

ところがAIというものは、例えば病気の診断とか法律とか、人間社会の問題を扱うのが目的じゃないですか。そうなってくると、人間の存在がやっぱり絡んでくる。純粋な論理だけでうまくいくのかどうか、という問題がどうしても出てきてしまう。

かつての第2次AI ブームの時、ハイデガー6を研究しているドレイファス7やサール8といった哲学者は、AIに対して猛烈な批判の声を上げました。

ハイデガー流に考えると、人間は世界というものの中に「投げ込まれて」、自分を「投企」9しつつ生きているわけです。しかし、機械にはそうした生活世界がない。そんな機械が、どうやってものを考えられるのか、できないでしょう、という猛烈な反発があった。でもAI学者の側はあんまり気にしなかったんですね。

ただし、彼らは、「フレーム問題」とか「記号接地問題」と言われる問題を提起しました。例えば「水」という物体と「water」という言葉があるわけですが、AIは「water」という記号は処理できるけど、水の「実体」みたいなものと記号を結びつけることはできない、というのが記号接地問題です。そういうプラクティカルな問題で挫折していった。

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千葉:しかし、フレーム問題や記号接地問題というのは、工学的にはそういう言い方をしているけれど、実はカント主義的な批判にまさしく対応する問題だったわけですね。そこを工学者たちは曖昧にスルーしてきた。

当時はコンピュータがパズルを解いたり、ごく限定された状況の中で回答を出すことが、限られた計算能力しかなかったこともあって目的とされていたわけです。

ところが、今日ではコンピュータの計算速度がはるかに上がってしまったために、ある種、擬似的な形で人間の質的な概念、例えば価値であるとか、あるいは責任意識や主体性を持っているような振る舞いをするチャットボットなどがそれなりに実現できるようになった。

そうすると、ますますそこで行われている推論や計算過程と、人間的概念との相関性というものを真剣に考えなければいけなくなったということですよね。(第二部「AIが絶対に人間を超えられない『根本的な理由』を知ってますか」につづく)

6) マルティン・ハイデガー(Martin Heidegger):1889年-1976年。ドイツの哲学者。フッサールに師事して現象学を学んだのち、存在論に関して多くの足跡を残した。

7) ヒューバート・ドレイファス(Hubert Lederer Dreyfus):1929年-2017年。米国の哲学者。マサチューセッツ工科大学教授、カリフォルニア大学バークレー校教授、アメリカ哲学会会長などを歴任。メルロ=ポンティやハイデガーといった現代ヨーロッパ哲学を専門とし、哲学の見地から人工知能を批判し続けた。

8) ジョン・サール(John Rogers Searle):1932年生まれの米国の哲学者。言語哲学、心の哲学を専門とする。「中国語の部屋」などの思考実験を発案し、人工知能(チューリング・テスト)批判を展開した。

9) 投企:ハイデガーが提唱した哲学的概念。好むと好まざるとにかかわらず、人間は世界の中に否応なく「投げこまれている」存在であり、その上で自己の可能性を追い求めて生きているという考え方。

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