「AIは人間を超える」なんて、本気で信じているんですか?

哲学の視点から語る「科学の限界」
西垣 通, 千葉 雅也

シンギュラリティって、普通に考えるとちょっとおかしいじゃないですか。だって、機械は身体を持っていないですよね。人間の知性というのは、やっぱり自分の感性や感情、身体といったものによって支えられていて、その一部に論理というものがある。それなのに、例えば脳を全てスキャンしてコンピュータの中に入れていけば…

千葉:人間ひとりの人格さえも複製できるというような。

西垣:コンピュータの中でずっと生きられる、と言うわけです。それはちょっとおかしいじゃないですか。直感的に考えても。

つまり彼らの論理は、私には、何かに取り憑かれているような感じがするんですね。「テクノロジー」という窓を通して宇宙の深遠さ、あるいは真理とか、そういう宗教的なものを追い求めたい、進歩していきたいというモティべーションが、彼らをドライブしているのではないかと思ったんです。

それを解き明かそうとすると、もちろん宗教学も必要なんだけど、やっぱり哲学です。近代哲学は何を考えてきたんだろうと。

カント5は、人間がまずあって、人間は人間の枠組みというものを通して世界を認識しているんだ、だから人間が認識できるのは、「物自体」ではなくて「現象」なんだ、と言いますよね。

千葉:そうですね。人間の知性が世界をどう捉えているか、人間の知性のフレームがどうなっているかを問うのが、カントに始まる近代哲学の発想です。

 

「素朴実在論」を信じる人々

西垣:ところが、今の超人間主義者たちの話を聞くと、どうもそこのところを、あんまり考えていない感じがする。

「絶対的に正しい知性」というのは、人間にとって正しいのか、それとも人間がいなくなっちゃっても「正しい」のか…そういうことを彼らは本の中でいっぱい書いています。「どこかに人間より優れた知性体がいる」といったことも語るわけですが、でも「人間より優れた知性体」って何なのか、そういうものを我々は認識できるのか、という疑問が出てくる。そうなるとやっぱり、カントの近代哲学まで戻ってちゃんと考えないといけない。そこで私としては、メイヤスーに着目したんですよ。

メイヤスーっていう哲学者は、千葉さんにちゃんとお話しいただいたほうがいいと思うんだけど、いくつぐらいですか? 40歳くらい?

千葉:もっと上ですけど、中堅の学者ですね(1967年生まれ)。

西垣:彼は、もちろんカントの議論や近代哲学の流れを全部知った上で、「そういう近代哲学の前提に基づいてものを考えるだけじゃ、不十分じゃないか」と言い出したわけですね。

千葉:そうですね。いわゆる自然科学者というのは、何か物体について、あるいは宇宙というもののあり方について、「人間がどういう風に意味付けるか」という主観性の問題から完全に切り離して、単にその物の「真理」を客観的に言える、記述できるというふうに、普通は考えています。

これは「素朴実在論」という考え方ですが、しかし真剣にカント以後の哲学の展開を引き受けるとすれば、人間は言ってみれば「自分の考えているようにしか世界を考えていない」わけです。つまり「純粋な客観的認識」って、不可能なんですよ。

この「不可能ぶり」をちゃんと引き受けている人って、よほどの哲学好きの人以外にはいませんね。普通の生活をしている人や、科学者や技術者は、そういう近代に発見された「人間は人間の思考の中で思考している」という制約を深刻には引き受けていない。だから、人間がいろいろ計算した結果がそのまま実在のモノを記述している、という発想になる。

5) イマヌエル・カント(Immanuel Kant):1724年−1804年。プロイセン王国(ドイツ)の哲学者。主著『純粋理性批判』で、「人間は対象(物自体)を直接認識することはできず、あくまでも現象を主観的に認識することができるだけである」と唱えた。

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