「ライブハウスを創った男」ロフト席亭・平野悠の長い回想

前編・ロフトができるまで
細田 昌志 プロフィール

下北ロフトがなかったらサザンは世に出てない

平野 僕にとっては無名ないバンドが次々に出てきて、彼らと接するのは楽しかった。「ライブは赤字」ということはオープン2~3ヶ月ですっかりわかってたんだけど、僕も若かったしね。

そのうちミュージシャンがラジオの深夜放送なんかで「今度ロフトでライブやる」とか言ってくれたり、中継があったり。居酒屋タイムにもお客さんが来てくれるようになって、徐々に知名度が上がってった

──シュガーベイブ(山下達郎、大貫妙子らが在籍したバンド)の解散式も荻窪ロフトですもんね。そうこうしているうちに、今度はニューミュージックの時代というものが到来します。

平野 ニューミュージックが巨大ビジネスになる少し前。でも、その風はあったのかな。それで西荻や荻窪とは違う毛色のハコを作りたくなった。それが下北沢ロフト。ちなみにタモリさんの東京初ステージは下北なんだ。

 

──いわゆる、タモリさんが福岡から上京したての頃ですよね。それもやっぱり山下洋輔さんがきっかけだったんですか?

平野 そう。当時山下洋輔さんはタモリさんの後見人でしょ。ある日山下さんが「こういう面白いやつを福岡から呼び寄せる。それで早速、彼をみんなで見ようということになった。深夜でいいからロフトでやらせてもらえないか」って言ってきたわけ。それで深夜だったらいいかって思ってOKした。

──あー、無名だから、まだレギュラータイムにはやらせられないわけですね。

平野 まだ誰も知らないしね。確か入場料も取らなかったはず。偶然そこで飲んでる客は「何が始まったんだ」ってきょとんとしている。

そこでタモリの十八番の「六か国語麻雀」とかやるんだけど、これが大ウケも大ウケ。みんな引っくり返って爆笑した。俺も引っくり返った。「こういう深夜のライブもいいなあ」って思ったね。集まったのは山下洋輔さんの友達、赤塚不二夫や永六輔、筒井康隆とか。

──タモさんの密室芸の原点だったわけですね。

平野 それから随分たって、タモリさんに久しぶり出てもらいたいって思って、所属事務所に電話したら「ロフトってなんですか?」ってマネージャーに言われてすごく落胆した記憶がある(笑)。

──それもきつい話だなあ(笑)。とはいえ、初期タモリが出演しているのは大きいですね。人が人を呼んだわけですから。そういう意味では、下北沢ロフトでは、サザンオールスターズのメンバーの毛ガニさん(野沢“毛ガニ”秀行)と元メンバーのター坊さん(大森隆志)がバイトしていたのも有名ですね。

平野 サザンについてはまさにそう。彼らに限らずロフト各店には店員バンドがたくさんいて、彼らに対しては色々と優遇していたんだけど……サザンの話になると僕の中でもいろいろな感情が湧き出て来るんだよなあ。

というのも、下北ロフトがなかったら、サザンオールスターズってのはないんじゃないかと思う。世に出ていても今とは相当違った形になったと思う。それを踏まえた上で言うんだけど、俺の音楽人生の中において2つの大きな失敗がある。そのひとつは、あれだけ僕たちのそばにいた桑田(佳祐)さんの才能を見抜けなかったこと。

──そうなんですか!?

平野 奴らがウチでライブやると客は20人くらいしか来ない。とにかくあまり客の呼べないバンドでさ。それに全員が貧乏(笑)。店員バイトだから深夜は店の機材を使って練習させていたけど、僕にとってはそういう存在でしかなかった。

でも、貧乏な学生にとってこれはでかいよ。スタジオ代も払うお金がないんだから。それに、彼らは店に出演するバンドを働きながら直に観て勉強したっていうのはあったと思うし。

──確かにそれはアマチュアの学生バンドにとってはかけがえのない経験ですね。

平野 そしたらね、しょっちゅうロフトに出入りしていた高垣(健)さん(ビクターレコードのディレクター。サザン生みの親の一人)が、サザンのテープを大里(洋吉)さん(アミューズ創業者・現アミューズ代表取締役会長)に渡して、その流れで彼らはアミューズに所属が決まった。大里氏はもともとナベプロにいてキャンディーズのマネージャーをやっていた人でしょう。テレビやラジオにいろんなチャンネルを持っていたし。

──渡辺晋社長との感情的なこじれでナベプロから独立して、原田真二をプロデュースするためにアミューズを作った人ですもんね。

平野 程なくして大里氏がやって来て「平野さん、TBSの『ザ・ベストテン』にサザンを出そうと思う。ロフトを使わせてくれないか」って言ってきたの。当時『ザ・ベストテン』って大人気番組だったじゃん。本当にああいう「ザ・芸能界」みたいな番組にあいつらを出すのかと、半信半疑だったけどともかく許可を出した。場所は新宿ロフト。

──実はそのときの客がほとんどがサクラだったっていうのは有名な話ですね。あいざき進也のファンクラブの会員で埋められたとか。

平野 でもそのときの生中継の現場にいてそれを間近で見ていて、びっくりしてさ。「桑田ってこんなパフォーマンスできるやつだったの!?」って絶句しちゃった。『勝手にシンドバッド』の衝撃だよ。信じられなかった。「あー、俺はこいつの才能をまったく見抜けなかった。見抜こうとしなかったんだなあ」って愕然としたよ。そこから奴らの活躍は知っての通り。

──それは確かに引っかかりますね。一生の後悔というか。

平野 そのときはなんとも思ってなかったんだけど、彼らはその後国民的バンドになったから。ああいう形で大化けするなんて全然思わなかった。完全に不覚だった。