「ライブハウスを創った男」ロフト席亭・平野悠の長い回想

前編・ロフトができるまで
細田 昌志 プロフィール

「もう駄目だ。雇われてる場合じゃない」

──困りますよね。

平野 それで叔父に平野威馬雄ってフランス文学者がいるんだよ。ある世代の人には「UFO研究家」として知られているんだけど。

──平野レミさんのお父さんですね。つまり和田唱(トライセラトップス)の祖父であるという。

平野 そうそう。それで叔父さんのコネで小さな漫画の出版社に入ったわけ。一生懸命に働いたよ。編集という仕事も楽しかった。でも……よしゃいいのにそこでも新左翼系の労働組合を作ってさ(笑)。結局そこも指名解雇された。

一度は白紙撤回させたんだけど、今度は会社で飼い殺し。半年まーったく仕事がなかった。干されたんですよ。来る日も来る日も一日中新聞読んで終わり。「これはつらいなー」って思って、やはり若いし、まだ自分にも未来があると思って結局そこも辞めてしまったの。

──叔父さん怒ったでしょう。

平野 わからない(笑)。それでさ、もう就職もないし、自分で起業するしかなくって、いわゆる当時流行りの脱サラに賭けたんだ。そこで、千歳烏山の甲州街道沿いに7坪の土地があって、ほんの少しの資金を、カミさんの親とか友達とかから借金しまくって、当時の金で140万集めたかな。百枚くらいのジャズのレコードもあったから「よし、じゃあいっそジャズスナックもどきでやろう」って比較的軽い気持ちで作ったのが7坪の烏山ロフト。

 

──記念すべきロフト第一号店ですね。まず、どういう理由で「ロフト」って命名したんですか?

平野 アメリカのローリングストーンという雑誌を読んでたら「LOFT」って文字を見つけて、それは「屋根裏部屋」って意味だった。同時に「作業場」っていう意味もあって、語感もいいし。よし、そうしようって。これは大資本西武がやっている「ロフト」のずーっと前の話だ。

最初はジャズ喫茶風スナックだった

──でも最初はライブハウスじゃないんですよね。

平野 そう、当時ライブハウスってものはなかったし、ジャズ喫茶風なスナック。

──怪しいですね(笑)。それにレコードも百枚って相当少ないですよ。

平野 だから客から散々馬鹿にされたし、同情もされた。その上、最初は客も全然来なくって随分と苦戦したね。そこでまず徹底して客に話しかける戦術に出たわけ。

「どんなレコードをお望みですか?」とか。そしたらみんな「そうは言うけど何もないじゃん」って突っ込むわけよ(笑)。「次に来るまでにはリクエストの新譜は揃えます」って素直に謝って。そしたらお客さんがレコードを持ち寄ってくれるようになって、しまいには客のレコード棚ができたという。

──新手の寸借詐欺ですよ(笑)。

平野 でも、そのお客さんが持って来るレコードで僕はロックやフォークを知ったの。例えば浅川マキとか日本のフォークミユージシャンもそれで知った。そうやって話しているうちに常連客がポツポツできるようになって、色々語り合うようになったんだ。

恋愛相談に乗ったりとか受験勉強の悩みを聞いたりとか、話すことは色々あるわけでしょ。そのうち、とにかく外に出ようと思って草野球のチームを作ったり、みんなで海水浴行ったり、スキー行ったり、みんなで東映のやくざ映画を観に行ったりとか。

──なるほど! レコードの枚数が少ないことが逆にチャンスをくれたわけだ。

平野 野草取りが趣味という人がいたら「じゃあ今度、野草狩りのハイキング行こう」なんつってさ。あと、白百合とか女子大も近くにあったから女の子の姿が目立ち始めて、そうなるとだいたい男の客も増えるよね。

そのくらいの頃かな、店の中に壁新聞とか店内誌を作った。それに「落書きノート」ってのを店に置いたらみんながそこに色んなことを書くようになって。落書きを書くやつもいれば、何かの告知だったりとか、詩を書くやつもいたり、悩みを書くやつもいて、それにまた他の客が意見を書いたりとか。そういう時代だったね。

──あー、なんかいいですね。

平野 その落書きノートは何年か後にNHKのドラマになったんだよ。主人公がこの落書きノートが縁で彼女と出会ってどうのこうのみたいなやつ。でも、その貴重なノートをNHKに貸したら失くされてしまうんだけど。

──えー!? ひどいな、それは!

平野 その頃の烏山の常連にいたのが、当時東京芸大の学生だった坂本龍一、明大のブント系新左翼の運動家だった二木啓孝(評論家)、すでに平凡パンチを主戦場にフリーの記者として書きまくっていた生江有二(ノンフィクション作家)。彼らは烏山の本当に一番古い客だった。多分居心地が良かったんだと思う。彼らも落書きノートに随分いろんなことを書いてたよ。

──それ凄いですね。ノート失くしたのがつくづく惜しまれます。