「ライブハウスを創った男」ロフト席亭・平野悠の長い回想

前編・ロフトができるまで

現在、日本国内に2000軒はあるといわれるライブハウス。そこでは有名無名問わず、あらゆるバンドやミュージシャンが、自分の信じた音楽を演奏し、披露し、観客を楽しませ、泣かせ、興奮させ、そして感動させている。

そんな日本におけるライブハウスは、ある一人の男の着想から誕生したものといっても過言ではない。

平野悠。株式会社ロフトプロジェクト代表取締役、別名「ロフト席亭」。彼がいなければ現在のライブハウス営業はまた違ったものとなり、同時に音楽産業もまた違った形となっていたはずだ。

「日本語ロックの誕生は、1976年の新宿ロフトのオープンによる」

と語るのは音楽評論家の牧村憲一である。この発言からも判るように、平野が興したライブハウス「ロフト」は日本の音楽カルチャーに多大な影響を与え、多くのサポーターを生み、のみならず多くのミュージシャン、シンガーを世に送り出すことになった。

そんな平野だが、ライブハウスが市民権を得たのちは、海外放浪を経て、トークライブハウス開設という新機軸に討って出る。そして現在もロフトグループ総帥として、常にアンテナを張り巡らせ、新しいものを発信し続けている。

平野を突き動かすものは何か。平野は何を考えていたのか。なぜ、暇さえあれば船旅に出るのか……etc。

「フォーク・クルセダーズ」や「はっぴいえんど」とは違う、別の側面から見た日本語ロックの黎明期を支えた功労者、平野悠。その波瀾の半生をその回想とともに振り返る。

 

原点は学生運動

──さあ、伝説の「ライブハウスの父」にご登場いただきます。ロフトグループ総帥、平野悠さんです!

平野 いやいや、伝説なんてめっそうもない。もうほとんど疲れている。歳だし(笑)。

──いきなりネガティブな発言はやめて下さい(笑)。多くの若いビジネスマンの指針となるようなことを、今日はお聞きしたくてやって来たんです。実は、今年の春に新たな店舗「ロックカフェロフト」をオープンしたばかりなんですよね。全部ひっくるめて何店舗目ですか?

平野 いくつだろ?……わかんない(笑)。今までに20軒ぐらいかな。いちいち憶えてないんですよ。

──やばいですね(笑)。今回は平野悠さんにこれまでの半生を振り返っていただきながら、新店舗についての展望をお聞きするという企画なんです。平野さんが日本の音楽カルチャーといかに伴走していったか、そこにどんなドラマがあったのかお話をうかがっていきたいと思っております。そもそもなんですが、平野さんのキャリアにおいて原点といえるのはなんですか?

平野 キャリアっていえるのかどうかわからないけど、やっぱりあの政治の季節の時代青春を送ったからね。大学紛争真っ只中に大学に入ったんだ。マルクス・レーニンの洗礼受けて人生狂っちゃった。ハシカみたいなもんかな。当時の大学生の多くは感染していた。高校生のときにはすでに「え、『共産党宣言』読んでないの?」とか言われると焦っちゃって、徹夜で読んじゃってた。そうしてどんどん左翼的になっていく、その時代が原点といえば原点だよね。

──そういうもんなんですね。

平野 それで中大(中央大学)に入ってからもブント(※ブント⇒共産主義者同盟の通称。各大学に支部を持っていた。70年の解体後は赤軍派、戦旗派、ML派などに分裂)に影響されちゃって。当時は中大の学費闘争が主流でね。「学費値上げ反対」っていうやつ。だってほら、当時はね、みんな貧乏だったから。

大学に行くためにそれこそ親が田畑売って「お前は頭がいいから大学行け」とかさ。お兄さん、お姉さんも大学行かないで大学行かせてくれたり、学費出してくれたりって時代だよ。地方から出て来る子って結構そういう貧乏学生が多かったの。

──ってことは、学費が上がると「下の弟や妹が困る」って発想になりますよね。

平野 まさにそれ。みんな正義感から立ち上がって「大学を金持ちの学校にするな」っていうのがスローガンでさ。どこの大学も授業料値上げ反対闘争はやってたのよ。でも、中大だけが学費闘争に勝ってしまって、大学側が白紙撤回しちゃった。

中大の中核派も革マルも民青も「やったー、勝った!」って言って喜び呆けてる中、ブントだけが「70年安保まではバリケード解かない。俺たちは革命をやる」って言い出してさ。そしたら学費闘争なんてどうでもよくなって、本気で革命がしたくなったわけ(笑)。

──えー!

平野 当時よく言ったのが「革命で死ぬなら本望」っていう、こないだ亡くなった赤軍派議長塩見孝也の「革命的敗北主義」ってやつ(苦笑)。当時はそれに共鳴してさ、「俺もブントに入れてくれ」って頼みに行ったら「じゃあ、お前は学校辞めて労働戦線に行って新左翼の労働組織作れ」って言われて、それで大学辞めて高卒の公務員試験受けて、秘密裏に郵政省の貯金局に就職したの。

──ええー、それで大学を中退しちゃうんですか!

平野 中退っていうか、ほとんど行っていなかったけどね。それで貯金局という役所で一日中そろばん弾いて真面目に働きながら、役所の中に新左翼系の労働組合を作るという……つくづく大変なことをしたもんだよ(笑)。そんなときに起きたのが、連合赤軍の「あさま山荘事件」。

──あーあー、となるとどうなるんですか?

平野 次の日から、みんなから冷たい目で見られてバッシングにあって、役所に行けなくなった。

最後は局長室を占拠したりとかいろいろ頑張ったけど(笑)、結局仕事も全く面白くなかったし、そろそろ潮時だと思って役所は辞めざるを得なくなってね。でも働かなきゃなんないから、いろんな会社を受けるんだけど全部落ちた。そりゃ落ちるよ。公安から情報が回ってくるんだから。「どうしよう」って頭を抱えるしかないよ。もう結婚して子供もいたし。