格差社会でいるくらいなら、日本は「階級社会」を目指した方がいい

競争を「煽られない」社会へ
河野 真太郎 プロフィール

活力ある階級社会はどのように実現できるのか

では、活力ある「目指すべき階級社会」とは、どのようなものか。それは、(1)階級が常に変化し、組みかえられていくような社会であり、(2)その構成員が階級全体の利益を考えられる(できれば社会全体の利益も考えられる)ような社会である、ということになる。

この、一見矛盾する要素(なにしろ前者は階級の流動化を、後者は階級の固定化を志向しているように見える)は、いかにして両立可能なのだろうか。そして、そのような階級社会がふたたび熾烈な競争社会に、新たな格差社会へと舞い戻らないためにはどうすればいいのだろうか。

ここで、階級社会の大先輩であるイギリスにヒントを得ることができるかもしれない。イギリスの文化研究者・小説家のレイモンド・ウィリアムズは、その著書『キーワード辞典』で、「階級」とは「時には経済的カテゴリー」であるとしている。これはほぼ、ここまで述べてきたような意味での格差のことである。

だがウィリアムズはさらに、現代日本の私たちにはにわかには飲み込めないことを述べる。つまり、階級とは「時には……組織体であり、その中でその状況に対する自意識と、その状況に対処するための組織が作り出されたのである」というのだ。

どういうことだろうか。ウィリアムズは二つのことを言っている。「その状況に対する自意識」とは、自分がある階級に属しているという自己意識のことである。もうひとつは、「その状況に対処するための組織」。つまり、ある階級がおかれた状況に対処するために、その階級に属する他の人びとと手を結ぶことである。連帯することである。

 

こうした動きのなかで、人々は階級内部で、無用の足の引っ張り合いや競争をすることなく、階級全体に利益をもたらすような要求をすることができるようになる。結果としてそれは、階級を変容させることにもつながるのだ。

これらの要素を想像する努力こそ、「格差社会」の狂騒から私たちが抜け出すためには必要なのである。簡単に言えば、階級は、個人が意識的に参加し、自主的にその形を変えていけるような共同体にならなければならないのだ。

ウィリアムズが想定しているのは、イギリス伝統の労働者階級であろう。イギリスの労働者階級の強力なコミュニティ意識と、そこへの民主的な参加の意識、自分たちの運命を自分たちの手で握ろうという意志の重要性を説いているのだ

日本でそれを実現するにあたって、是枝監督作品がヒントを与えてくれる。