自衛隊「イラク日報」と日中戦争「日本兵の投稿雑誌」の意外な共通点

戦地で生まれた「異文化理解」
井上 寿一 プロフィール

日本兵の「愛読誌」その中身

以上に紹介したイラク日報が公表された時、私は11年前に出版した『日中戦争下の日本』(講談社選書メチエ、2007年)の文庫化の作業をしていた。頭のなかでこの本の主要な史料である『兵隊』と自衛隊の日報がシンクロした。

このたび『日中戦争 前線と銃後』と改題して文庫化したこの本は、〈日中戦争とは何だったのか?〉の問いに答える目的で、同時代の多様な史料から、前線の兵士と銃後の国民が、何を考えどう行動したのかを明らかにしている。

中国大陸の戦場において発行されていた日本人兵士たちの投稿をあつめた雑誌である『兵隊』は、日中戦争におけるもっとも重要な史料である。この投稿雑誌には随筆だけでなく、短歌、俳句、川柳、絵画や写真まで掲載されている。そこには、中国との戦争を戦う日本人兵士の「等身大の姿」があった。

昭和15年1月発行『兵隊』第11号の表紙

私は『兵隊』第三号(1939年6月)の「南支那派遣軍松浦隊・下田徳幸」の一文「甘藷と姑娘」を引用したくて、この本を書いたようなものである。本書では、下田の記述をもとに当時の広東市街の状況をつぎのように描写した。

「広東市街の掃討戦を終えて、南支那派遣軍松浦隊の下田徳幸は、夜明け前の不気味な静けさのなかで、十字路に腰を下ろした。あたりはまだ暗く、兵隊の吸う煙草の火が赤く明滅していた。

やがて夜が明ける。早朝から中国人の工場労働者たちが道路に姿を見せはじめた。彼らは暗い不安な顔を兵隊の方へ向け、礼をするように頭を下げていく。下田は、『針金のように細くて、容易に折れそうもない彼等の黒褐色の脚と、犬のように石ころの上を平気で歩いて行く強靭な素足を不思議そうに眺めて』いた。

その時、下田の側に座っていたH上等兵がつぶやいた。『これが大広州の市民だからな。俺は彼等を見ると、いつも支那人という気がしないんだ。変ないい方だが、自国民のような気がしてこころの底から情けなくなる、いや、悲しくなってくるよ』。

H上等兵が『恰(あたか)もそれが彼一人の責任であるかのような悲痛な面持』で言ったことに、下田も『そうだな』とうなずいた。

中国人労働者のなかに、一人の『姑娘(クーニャン、若い女性)』がいた。K上等兵が呼びとめ、『おい、新聞紙を開けろ』と尋問するように日本語で言った。

なかから出てきたのは、さつまいも三本だった。兵隊たちは哄笑し、つぎの瞬間、黙ってしまった。そのさつまいも三本が彼女の昼食のすべてだとわかったからである。K上等兵は、このうえ見るのは如何にも苦しいといった風に『もういい、いった』と、いって自分で包みかけた」

「兵隊ニュース」のコーナー。「南支戦線を見て感激」「映画土と兵隊 原作者として火野葦平氏の感想」「南支兵隊のスケッチ集発刊さる」など興味深い見出しが多い
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