「朝日ぎらい」な人々が世界各国で急増している理由

世の中は「リベラル化」しているのに…

その点、朝日新聞に代表される「日本のリベラル」はダブルスタンダードの罠に陥りやすい。

例えば今、リベラル系のメディアは、政府が進める裁量労働制の拡大に反対の論陣を張っていますが、テレビも新聞もそれを報じている記者たちは裁量労働制で働いています。

また、リベラルは男女のジェンダーギャップを認めませんから、リベラルを標榜するメディアは当然、役員や管理職における男女比率がほぼ同じはずですが、実際はマスコミ各社の幹部は「日本人」「中高年」「男性」という属性で占められ、なんの多様性もありません。

リベラルを名乗る以上、リベラルがどのようなものか、身をもって示す責任があります。これはリベラリズムが近代の普遍の原理だからで、だからこそ(シングルスタンダードの)リベラルは社会に対して大きなちからを持つし、逆にダブルスタンダードをはげしく攻撃されることになるのです。

 

リベラルこそ「愛国」を考えるとき

もうひとつ指摘しておきたいのは、これからの日本のリベラルは「国の愛し方」を示さなければならないということです。

戦後の「朝日的リベラル」は、「愛国」と「軍国主義」を同義であるとして厳しく批判してきました。その結果、「生まれた国をなぜ愛してはいけないのか」という素朴な疑問にうまく答えられなくなり、「愛国」を右翼の独占物にしてしまった。こうして日本的リベラルは「愛国でないもの」――すなわち「反日」のレッテルを貼られることになったのです。

ここに、「朝日ぎらい」の大きな理由が潜んでいることは間違いありません。

敗戦や植民地の歴史を持つ国民は、自国の近現代史に屈折した感情を抱いてしまうものです。アメリカでは、リベラルな知識人でさえ「デモクラシーを守るために戦い、勝利した」というシンプルな「正義の物語」を奉じていますが、世界的にはこうした「愛国リベラル(Patriotic Liberal)」はごく当たり前の政治的立場です。なぜなら、国を愛していない者には国について論じる理由がないから。

日本は戦争に敗れた1945年に、軍国主義と一緒に愛国主義を葬ってしまい、それから長い間、「新しい愛国の物語」を作ることに失敗してきました。「朝日ぎらい」を乗り越えるには、リベラルこそが、(リベラルとして)国を愛する論理を構築し、提示する必要があるのではないでしょうか。